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黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

クリスマス市&不幸中の幸い

2015年12月21日 | 旅行

2015年ウィーン市庁舎前クリスマス市

 

華やかで賑やか

夫の容態が気がかりだが 

一緒にトラムで移動し 市庁舎前のクリスマス市へ

 

偶然 別行動のご夫婦に出会う

夫の状態を気にして下さっており

整形外科のDRだと知る

容態を話すと

ホテルに戻ってすぐに部屋に来てくださり

診察して痛み止めを下さる

不幸中の幸い 地獄で仏とはこのこと 感謝でいっぱい

早速薬を飲ませ

夕食のルームサービスを頼んで 私はレストランへ出かけた

帰ってみると 夫はぐっすり休んでおり 

翌朝まで10時間以上も薬が効いていた

 

 

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ベルベデーレ宮殿にて

2015年12月20日 | 旅行

午後は希望者が添乗員とトラムに乗り

ベルベデーレ宮殿上級のギャラリーへ

クリムトの絵が是非観たいので私も行く

内部は撮影禁止だが

クリムト「接吻」の絵画を鑑賞し ときめく

  上級と下級宮殿の間には傾斜になった美しい庭園広がる

緯度が高く太陽の位置が低いせいか

3時頃なのに長い黒い影が庭園を覆い

遠くのウィーン市内は明るい

ウェディング姿の撮影

二階の窓からの眺めた庭園

クリスマス市が始まっていた

 

 

 

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シュテファン寺院の見学

2015年12月19日 | 旅行

シュテファン寺院

ゴシック建築のウィーンのシンボル的な存在

以前訪れた時は 外観だけの見学だったので

是非内部も観たいと思っていた

見上げると首が痛くなるほど高い尖塔は

157mあるそうで 高さは

教会の尖塔としては世界で第3番目である

荘厳な内部

広くて大きく高い

  

  

  

無料で拝観できるところだけの見学

  

見学の後は

賑やかなケルトナー通りに出て

夫に頼まれたCD やピンバッチを買い

 薬局で痛み止めの薬を購入する

ウィーンでは医師の処方箋がないと薬の購入は難しいそうである

ガイドさんが歯が痛いからと言って買ってくれる

  

素敵なアクセサリーを横目でチラリ

スーパー地下で

  

お昼のお寿司を買って戻る

 

 

 

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私だけ ウィーン市内散策

2015年12月18日 | 旅行

11月23日(月)

夫の腰痛は夜も眠れないくらい酷く

もう観光できる状態でなくベットに横になったまま

添乗員のSさんが旭川の主治医に連絡し

薬を多く飲むように指示を貰う

薬が効き痛みが少し治まったのをみて

夫の希望もあり 私だけ

観光買い物に出かける

(自由行動の日で個人で半日観光を依頼してあった)

 

朝9時少し過ぎ

空気は冷たいが風もなく 青空が広がる良い天気

ガイドさんの話しでは

例年ウィーン今頃の季節は青空は見ることができないそうである

今日はラッキー

ホテルから程近い市民公園を散策する

ベートーベンの像

公演の中を流れる運河 地下水道に続いているそうだ

金ピカのヨハンシュトラウス像

  

    

シューベルト像

静かで人影もまばらな公園を抜け シュテファン寺院の方へ向かう

カラフルな花屋さん クリスマス近いのでロウソクが入った花が多い

美味しそうなお菓子屋さん窓越しに

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ウィーン市内観光

2015年12月17日 | 旅行

午後からはウィーン市内を徒歩で観光

道路の自転車専用部

国立オペラ座

王宮の中にある「宝物館」 「シシイ・ミュージアム」を見学し終わると(撮影は禁止)

夕闇に包まれていた

小雨がぱらつく中馬車に揺られてホテルまで戻る

夫はホテルで休んでいたが段々腰痛が酷くなって来る

レストランでの夕食も途中で切り上げる

 

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待望の楽友協会でのウィンフィル コンサート

2015年12月16日 | 旅行

11月22日(日)

今回の旅行一番の目的

ウィンフィルのコンサートを聴く

 

ホテルは楽友協会ホールから近いアム コンツェルト ハウス

 

11時開演なので早めに出かける

 

皆さんは徒歩だが夫の体を考えタクシーで

裏口らしきところで降ろされ入り口でウロウロ

ゼスチャでコートの預ける場所を聞き

地下でコートを預け開場を待つ

大ホールへは階段を上がらなければならないので

エレーベーターを探し 乗って降りたら2階席

また降り 1階の席へやっとたどり着く

 

5列目の7番目と8番目

最高に良い席でビックリ 

歩いてきた方たちも近い席に着席しお互いにカメラでパチリ

カメラは×印が付いているが 開演前は大目に見てくれるらしい

    チケットの裏

 

今日の演目

ツアーを申し込んだときは メストさんの指揮だったが

病気で降板 少し残念だが

 

代役は若いイスラエルの指揮者 ラヴ・シャーニ(26歳)

 

演奏曲目は

バッハの「ピアノ協奏曲第一番ニ短調BWV1052]

指揮者がピアノを演奏するらしい

 

マーラー 「交響曲第一番ニ長調  巨人」

ワクワクしながら開演を待ちわびる

 上 夫が写した写真を拝借

座席が前の方だったので私はホール全体を写してなかった

      

クラッシックはあまり詳しくなく

マーラーも初めてだったが

11時きっかり 

若いまだ少年のように見える ラヴ・シャニが登場すると

もう夢心地

しなやかな指先まではっきり見える

あるときは優しく ある時は激しく情熱的な

ウィンフィルとピアノの演奏に酔いしれていった

 

休憩を挟んで

ピアノが取り除かれ

オーケストラ団員が続々登場 舞台は窮屈そうな大勢

 

マーラーの交響曲第1番ニ長調 「巨人」

ゆるやかに重々しくはじまる

洗練された音の美しさ迫力に圧倒され身震いがし

目頭が熱くなる

 

さすがウィンフィルの演奏

 

ラブ・シャニは若さあふれるパワフルな指揮で

美しくしなやかである

 

優しく若い指揮者を盛り立てるように

 

一糸乱れぬ演奏が続けられていった

 

嵐のように激しい音が大ホールに何度も繰り返し響き渡り

フィナーレとなった

 

満員の会場は 割れんばかりの拍手が長く長く続いた

 私の掌も痛く赤くなっている

お隣の東洋人の青年は立ち上がってブラヴォーを叫ぶ

こっそり 慌てて写したピンボケ写真

素晴らしい感動を胸にいだき

ホテルに戻ったが暫くは夢心地が続いた

 

 

 

 

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国境越え 一瞬ドッキリ

2015年12月15日 | 旅行

11月21日(土)

エステルハージ宮殿見学後

ショプロン郊外に戻り

素敵な雰囲気の

レストラン「Tercia」で昼食

パンプキンスープ チキンのフリット・オルリー風 ホットアップルパイ

皆とても美味しかったが量の多さにびっくりした

 

オーストリアの国境では

パリのテロ事件を受けてか シリア イラクの難民問題のせいか

パスポートをチェックされた

最近はなかったことであり一瞬ドキッとした

 

オーストリアに入り

15時45分頃ウィーンのホテルに到着

お世話になったガイドのアティラさんとお別れする

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マンションの大さわぎ

2015年12月15日 | たより

2時半過ぎけたたましいサイレンの音が近づき止まった。

ベランダから覗くと消防車と大きなはしご車が2台

救急車も

消防隊員数人が降り走って入り口へ・・・

火事ではないらしい

階段で騒がしい声と音が・・・上の階に上って行く

気になりドアを開けて様子をうかがう

降りてきた人に様子を聴くと

何度連絡しても住人の応答がなく  訪問しても鍵がないので

ケアマネさんが通報したらしい

独り暮らしで

誰とも付き合いがなく 世話を嫌がり孤立していた人

 

移り住んでから2年以上経つが その人だけ知らなかった

 

孤立死? 倒れて意識不明?

悪い予感がする

 

マンション前には 心配そうな大勢の人たちが・・・

△△さんに{お宅のご主人かと心配したと」言われ

「我家は大丈夫」とお礼を云う

気になったが 出かけ4時半頃帰宅すると

いつもと変わりない静けさになっていた

聞くと

意識はあり〇〇病院に運ばれたそうである

ホッとしたが他人事でない出来事だった

我家も考えなければ

 

仲良く孤立しないように

 

 

 

 

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エステルハージ家とシューベルト

2015年12月14日 | 旅行

ショプロンの東27kmの町にあるエステルハージ宮殿を見学する

エステルハージ家はハンガリーの名門貴族で所領は数万ヘクタールに及び

ハンガリー最大そしてヨーロッパ有数の大土地所有者だった

 

 

シューベルトは1818年

ハンガリーのツェルスに住んでいた(現在はスロバキア領)エステルハージ伯爵から

二人の娘たちの音楽教師として雇われその館に滞在した

伯爵の娘カロリーヌとシューベルトに恋が芽生えたが

あまりにも身分違いのため悲恋に終わった

このことを題材に映画「未完成交響曲」は作られたそうである

音楽好きな一族であり

ハイドン リスト・ベートーベン・モーツアルトなどとも関わりがあった

 

宮殿は1726年に建てられ1767年には126室の大宮殿になった

裏には大庭園が広がる

第二次世界大戦後ソ連兵が家具絵画を・全て持ち去り

ストーブだけが残された

倉庫として使われ荒れ放題だったが

修復され今も続けられている

一階の宴会の間コンサートなどが行われた 壁に大きな陶器のストーブ

2階の広間

     

入り口は正門前と庭園側にあり

招待客は馬車で広い庭園を通りそのまま館に入ってきた

   

宮殿前にあった 土産物店の可愛い陶器

 

バスの移動が少し長かったので

夫は腰痛が酷くなり見学をやめバスで待機していた

 

 

 

 


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ショプロンで起きたヨーロッパピクニック事件

2015年12月13日 | 旅行

アティラさんが話してくれたことを主に

纏めてみた

 

ベルリンの壁崩壊の原因を作ったのはハンガリーであり

ショプロンで起きたヨーロッパピクニック事件が発端である

 

ハンガリーは2度の大戦で敗れその後長い間ソ連の支配下にあった

1956年動乱(革命)を起こしたが失敗し多くの人が処刑されたり亡命している

 

徐々に自由化への動きが始まり

 1989年5月当時の首相がオーストリアとの国境の鉄条網を撤去する決断をした

 

それを知った 亡命を希望する東ドイツ国民が大勢

ハンガリー国境近くのショプロンに集まり

1989年8月19日ピクニックと称する集会を開き 

集団でオーストリアとの国境を越え

オーストリアを経て西ドイツへ亡命した

 

郊外にはピクニック公園がある

中央広場の三位一体の像

 

今は平和で自由に行き来できる国々だが

20数年前までの暗い歩みを知ることができ

ハンガリーの国を少しだけだがわかり 益々好きになる

 

 

 


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