6月1日の宗谷岬は春だった
丘陵は満開のタンポポが彩を添えて清々しい陽気だった
樺太は望めなかったが 島影が観えるように感じた
宗谷漁港には 高性能なタコ釣り漁船がずらりと並が
アルメリアの花はこれから咲く
6月1日の宗谷岬は春だった
丘陵は満開のタンポポが彩を添えて清々しい陽気だった
樺太は望めなかったが 島影が観えるように感じた
宗谷漁港には 高性能なタコ釣り漁船がずらりと並が
アルメリアの花はこれから咲く
(その一)
スーパーで買い物を済ませ レジでカードをだす
変だ レジが認識してくれない
お姉さんが再度カードを入れるがダメ
良く見ると別な店のカードでした
レジのお姉さんと二人とも ウッカリ
(その二)
今朝 ごみを出した後 エレベーターで戻る
ノブを回すが 家のドアが開かない
良く見ると 3階の別な家でした
慌てて こっそり 急ぎ 4階の我が家へ
何度も繰り返す 失敗
又 やってしまった
古い画像をひっぱり出して・・・
6月6日
駅前広場アフターコンサート
ベルンハルツバルト吹奏楽団の演奏
コンデジの手持ち撮影
カメラの故障や 風でぶれるので
ひどい画像だが 音だけでもと思い撮影する
冷たい風で 楽譜が飛んだり めくれたり
演奏も大変だったと思うが
楽しく聴くことができた
感謝
6月4日5日6日は
明治戊辰の役より大東亜戦争に至る北海道、樺太関係の国事殉難者を祀る
北海道護国神社で慰霊祭が行われる
今日は 詩吟団体の仲間たち50数名が奉納吟を行い
心を込めて吟じた
夫の兄 私の 従兄 たちも太平洋戦争で戦死した
戦後70年を過ぎ きなまぐさい時代になってきたが
戦争は絶対してはいけないし
亡くなった方たちのことを忘れてはいけないと思うが
参拝者も少なく 寂しい霊祭だった
寒く風が冷たい日で
カイロを貼り 厚着してコートを着込んで参列したが
テントに吹き込んでくる風は冷たく 手がかじかんできた
以前は
慰霊音楽大行進で
護国神社から行進が行われた
信教の自由に反するとか 色々あって
慰霊から 切り離されてしまったが
国のために犠牲となって 亡くなられた方たちを慰霊することは
どんな形でも大事ではないか
右でも 左でも ない
信じる宗教ももたないが
祈る気持ちだけは 忘れず 大切に持っていたい
ドイツから来旭した ベルンハルツバルト吹奏楽団が
昨日 奉納の演奏をしたと聞き
少し明るい気持ちになる
最北端の宗谷岬
気温17.5℃ 思っていたより風も冷たくない
43km先には 夫が住んでいた 旧樺太西能登呂岬があるが
残念ながら見えなかった
江戸時代に探検し
樺太が島であることを発見した 間宮林蔵 の像が
遥か 樺太を望んでいるようだった
樺太(サハリン)を望むことができる
稚内公園は是非訪れたかった処
水平線が霞み観ることが出来ず残念だったが
異国となった地に思いを馳せる
氷雪の門
真岡郵便局で自決した 九人の乙女の像など
樺太を忘れることはない
翌日(6月1日)
親切な支配人の紹介で 3時間ほど稚内観光を楽しむ
まず宿から近い ノシャップ岬へ
晴れて寒くはないが風が強く飛ばされそうだが
稚内では当たり前の風とのこと
コンデジの調子が悪いおまけに 液晶画面が全然見えない
霞んだ利尻富士を 眼くらめっぽう写したてみたが
半分欠けていた
日本で2番目に高いという灯台
他の観光客もいなく静かな岬だった
稚内での楽しみは海の幸だった
宿泊した風の宿“宗谷パレス”
毛ガニ ウに タコ ホタテ エビ アワビ等の
新鮮な美味しいご馳走を沢山いただき
会員全員他 町内会の方たちからも
温かい 心のこもったおもてなしを受けた
写真が失敗でした まだ他にご馳走が沢山ありました
ロシアの取り締まりの強化で
密漁のカニが稚内に入ることがなくなり
カニは品薄になっているそうである
約70名にカニを調達するのも 大変だった様子
Sさんはウニも二人分いただき
カニ味噌もウニも美味しかったと 大満足していた
昨日稚内で行われた
國風流詩吟・吟舞 稚内・士別交流会
ぶっつけ本番の 発表だった
舞う方は 初めてお会いする人であり
一緒に練習したこともない
おまけに列車は8分も遅れ 急いで会場へ向かったが
すでに始まっていた
初対面のの挨拶もそこそこにし
廊下で打ち合わせをする
動悸はするし 足はぶるぶるだが 失敗は許されない
舞を見ないで自分の吟に集中することにし
どうにか失敗しないで 終えた
後で聞くと 二人とも落ち着いて見えたらしい
車中で観た利尻富士 ピンボケだが
一番よく見えた時