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黄昏どき

老いていく日々のくらし 心の移ろいをありのままに

戦争のない平和な世界を

80年前海底に沈んだ船

2025年08月20日 | 戦争
80年前 留萌・増毛沖の日本海で沈没した 三船遭難事件




樺太からの引揚げ時 私たち家族は乗船予定だったが

べつな船(白龍丸)に乗せられて難を逃れた

私たちの代わりに乗船し犠牲になられた方がいる

女学校の担任の先生も亡くなられたと聞いた

亡くなられた1700名の方たちのご冥福を

今年も祈っている


サハリンに咲いていたハマナス 2012年夫のアルバムから






ハウザーのアルバムから
私は何のために生まれたの?(バービーより)

HAUSER - What Was I Made For? (from Barbie)

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思考力がない日

2025年08月19日 | たより
低気圧の日は 血圧も低くなる

朝食堂へはやっと行くが 帰りは見守ってもらい

横になっていた

活動開始は11時半のヘアーカット

すっきりしたが ノーミソの方は働かない

午後からは 高校野球を聴きながら

肩の凝らない読書をはじめている

写真が沢山 読むと言うより見て楽しむ



最近読んだ本


道内では 大雨警報 避難指示が出ているところもある



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引揚げの記

2025年08月18日 | 戦争
8月18日は私の引揚げ記念日である



昭和20年(1945年)8月18日

敗戦から4日目

豊原市(ユジノサハリンスク)に住んでいた我家は8人家族

 父(45歳)を除いた

母(38歳) 長姉(18歳) 次姉(14歳) 

私(12歳) 妹(9歳) 弟(4歳) 末妹(11か月)

7人が 北海道の伯父宅へ引揚げることになった


大人たちと違って

危機感 不安感はなく 戦争が終わったという開放感でいっぱい

半袖のよそいきのワンピースにズボン

小さなリックに着替えと 食料だけ入れ

伯父の家に遊びに行くような呑気な気持ちでいた



午後3時頃駅に着くと

大きな荷物を背負った人でごった返し 
 
奥地から着いた貨物列車の

無蓋車に積まれた荷物の上にも

大勢の人が乗っていた

見送りの父に促され

家族7人 

無蓋車によじ登って乗った
 
 
父は豆粒のようになっても ホームにずっと立ったままだった


屋根のない貨物車のシートはごつごつしており

積んであるのは大砲らしい


奥地からきた人たちが口々に 

ソビエト軍に追われて命からがら逃げてきたと話すのを聞き

恐ろしさと緊張感を感じた

汽車はノロノロ進み停車が多かった
 
“新場”という駅では長い停車だった
 
いつ発車するかわからない
 
列車から降り 草むらで用をたそうとした時である
 
ポ~~ツと汽笛を鳴らしてゆっくり動きはじめた
 
慌てて駆け寄り 乗ろうとしたが 一人では無理
 
妹の泣き叫ぶ声がきこえる

その時誰かが 貨車の上から手を差し伸べてくれた
 
つかまってよじ登り やっと貨車に乗った
 
後で豊原医專の学生さんだったのを知る
 
置き去りになる恐怖感不安感は全く覚えていない
 
大きな夕日が綺麗だったことだけが 鮮明に覚えている
 
暗くなって大泊に着いた


 
駅も道路も人々や荷物で溢れかえっている 

姉が逓信局に勤めていた関係で小笠原丸に乗船予定だが
 
誘導され映画館で待つことになった
 
館内も溢れんばかりの人人人である

乗船の順番はまわって来ず 一夜を過ごす
 
再び夜になりやっと順番がきた
 
港までは遠かった 暗い夜道をひたすら歩いた 

母は末妹を背に大きな皮のトランクを持ち

 4才の弟は長姉に手を引かれ

 3人も後に続いた
 
母は荷物が重くて途中捨てようとした時 

兵隊さんが現れ持ってくれた
 
やっと港にたどり着き 乗せられた船は 

小笠丸ではなく 白龍丸という貨物船だった
 
船は真夜中に出航した

稚内港がいつぱいで 小樽まで行くという 

20時間かかるそうでがっかりした

 甲板に張られたテントに数家族が入った

トイレはなく甲板の端でする

海は時化て嵐のよう テントにも雨水が入る 

すぐに酔って動けなくなる 

夜が明け左側遠くに北海道の陸地が見えるが

20時間すぎても小樽に着かない

船倉の方へは行かないようにと言われていたが 

チラリ覗くと 地鳴りのようにわめき声が聞えてきた

大勢の朝鮮の人がお酒を飲んで騒いでいる

今まで虐げられていた鬱憤を晴らそうとしていたのだろう

 暴動がおこるのではないか恐ろしかった
 

再び夜が来た 

緊迫した声で目が覚める

船はすべて灯りを消しエンジンの音も聞こえない

暗闇の中で目を凝らすと 船長らしき人の指図する声

乗組員が慌ただしく動き回っている姿が異様に見えた

緊張が走る

誰かが「潜水艦がいるらしい」という

戦争が終わったのに・・・・まさかと思うが不安で恐ろしかった

船はエンジンを止めて漂ったまま

どのくらいの時間だったか覚えていないが

危険が去ったらしい

 夜が明け船は動きだした
 
小樽の港が見えた時は 

疲労と船酔いで歩くのもやっとだった

嬉しいと言うよりホッとした

 
留萠沖で引揚げ船 小笠原丸など三船が 

国籍不明の潜水艦に沈められたのを知ったのは 

ずっと後の事である
 
我たち一家は幸運だった 
 
父は三年後痩せ衰えて帰国した


国民がすべて悲惨な目に遭った戦争

加害者でもあった

白龍丸の船倉に乗せられていた多くの朝鮮の人は

無事祖国に帰ることができたろうか


戦争犠牲者の冥福を祈り 平和を願う
 
 
生きている限りこれからも伝えていきたい 


北緯50度 ソビエトとの国境の標識

2012年サハリン州立博物館で撮影


(豊原)ユジノサハリンスクの レーニン2012年7月


18日は孫の誕生日でもある

「おばあちゃんが海に沈んでいたら 僕は生まれてなかったんだね」

幼い頃の言葉が忘れられない

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80年前の引揚げ前日

2025年08月17日 | 戦争
戦争に負けて 樺太からの婦女子の引揚げ

我が家は8月18日に決まり

8月17日は準備に追われていた

12歳の私は状況が理解できず 開放感を感じていた

木古内の伯父宅へ遊びに行くような気持ちで

緊迫感はなく

父や母にたしなめられても嬉しかった


父は国鉄職員だったので

荷物はチッキで8個送れることになっており

冬服 学用品など送る荷物へ入れ

着替えと食料だけリックに詰めた

お人形も入れて たしなめられた


二年に満たない生活の樺太には あまり未練が無く

大好きな伯父に会える嬉しさでいっぱいだった


引揚げ時の食料にと 父母は

もしもの時にと貯めてあったもち米と

実が入ったばかりのエンドウ豆でお餅をつき

皆のリックに詰めた


女学校からは在学証明書をもらってきた



明日は午後3時半の汽車に乗り 大泊港へ

長姉が 豊原逓信局に勤めているので

関係のある 小笠原丸に乗る予定になっていた



2012年7月のサハリン (豊原)ユジノサハリンスクで咲いていた



旧樺太庁博物館  現在は サハリン州郷土博物館


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平和をつなぐ

2025年08月16日 | 戦争
敗戦後80年目の15日

首相は反省の言葉を述べたが

加害責任には触れなかった

国民全体が被害者であったが 加害者であったことも事実であり

忘れてはいけない




15日

姪夫婦が面会に来てくれた


一年ぶりの再会である


5月5日の私の記事の切り抜きを持っていた

もっと知りたいと言う

時間がなくて詳しく話せなかったが

デジタル版のアドレスを送った



若者たちが

今の平和をつないでいって欲しい




真夏日の今日の大雪山

平和である


姪夫婦は14日

トムラウシが見える沼の原湿原

標高1500mくらいの沼まで登山してきた










コバギボウシ(タチギボウシ)

エゾオオヤマノリンドウ




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80回目の敗戦の日に

2025年08月15日 | 戦争
茨木のり子さんの 長詩

「りゅうりぇんれぃんの物語」

涙がとめどなく流れ 辛い恐ろしい思いにとらわれ

申し訳ない気持ちでいっぱいになった



太平洋戦争中 1944年9月 中国山東省で暮らしていた

柳連仁(りゅうりぇんれぃん)

強制労働者として日本に送られ

北海道雨竜郡 沼田町の炭鉱で働かされる


非人道的な強制重労働を強いられ


監禁 飢え 暴行 などひどい仕打ちに耐え切れず

1945年7月 仲間と脱走を図る

仲間は脱落したが 8月の日本の敗戦も知らずに

13年間山中で逃避行を続ける

1958年2月当別町の山の中の穴倉にいるのを

農民に発見され保護された

その後北海道華僑協会の援助により故郷へ帰国した

(ウィキベデイアを参照)


長女が生まれる少し前だった私は

報道されたことは記憶の片隅にあったが

長い間忘れ去っていた



知らなかった


戦争の被害者だと思い込んでいたが


加害者でもあったことを 忘れていたことを深く恥じる

他にも

 強制連行され 朱鞠内湖 東川のダム建設の過酷な労働で

命を落とした

人々のことも忘れてはならない


80回目の敗戦の日

新たな思いで  祈りを捧げる 




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お盆

2025年08月14日 | たより
11日にお寺へお参りしたので 遺影にお参り

今日は夫の月命日でもある

遺影の

お花の水を取り替え 好きだったお菓子

厨房からいただいたご飯をお供えする


夫が旅立ってから二度目のお盆





一日おきに体調不良がやってくる

朝食後は11時まで横になっていた

夫が生きた年齢までは無理なような気がしている

穏やかな気持ちでいるが

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ひ孫ちゃん

2025年08月13日 | たより
ぼ~っと横になっていると 着信音が鳴り響く

急いで見ると 画面いっぱいに ひ孫ちゃんの姿が

写っている

孫の嫁さんの声 ラインのビデオ通話だった

4歳になりすっかり大人びて

丸々太って元気そう

フリフリのワンピース姿が愛らしい

お母さんの言葉をオウム返しのように話す

「絵本をアリガトウ!」

字も読めるようになったようである


孫が忙しく お盆に来れないのは残念だが


姿を見られて 沢山お話しできて


シアワセ気分 元気も出てきた



今日は少し体調もよい

真夏日が続くので注意しなければ

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夏の大雪山

2025年08月12日 | たより
山の日には隠れていたが

今日は姿を現した 大雪山

心が洗われるようで 元気も出てくる






昨日のつけなのか 

午前中は動くことができなく ずっと横になっていた

やはりこのままではいけないのだろう

思案中だが 少しでも改善するよう

娘とも相談 明日から 

ビソノテーブの貼る時間を変えてみよう




二女のお土産のゼリーも美味しかったし

食欲はある

お昼の枝豆ご飯も全部いただいた




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お参りと久しぶりの帰宅

2025年08月11日 | たより
自宅の近くにあるお寺へ

お盆のお参りに行ってきた

二女夫婦は2日前から泊り

家の中の風通しをよくしたり お供物 お花の準備をし

 朝迎えに来てくれた


早めに準備して横になって休んでいたので

血圧は低いが立ち眩みも少ない


お寺の納骨堂はお参りの人がちらほら

庫裏まで婿さんに行ってもらったが

お坊さんはみんな留守だった


お参りの後我が家に行き休息する


大雪山も 十勝連峰も雲の中


やっぱり落ち着きホッとする

お昼は希望していた 井泉のお弁当を

出前のつもりだったが混んでいて

婿さんがお店まで取りに行く

カキフライ エビフライ ヒレかつとお好み

娘は カツサンドとクリームコロッケ

婿さんは ロースかつ弁当

久しぶりに美味しくいただいた

(写すのを忘れた)


デザートは深川の北斗メロン
道の駅で求めてきたが とても美味しかった

雨の予報もあり

婿さんは明日は仕事なので早く戻ってくる

感謝

嬉しいことがあると 血圧は低くても元気である



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