2022年  にっぽん復興へのシナリオ

日本が復興を遂げていく道筋を描いた近未来小説と、今日の様々な政治や社会問題についての私なりの考えや提案を順次掲載します。

五.子供の誕生(5)

2012-01-29 16:45:10 | 小説
 出産時の手当制度を手厚くしたのは、少子化対策の一環からであった。
 バブル崩壊以降経済状況が下降を続け、長引くデフレと雇用の不安定化などから、2005年には出生率が戦後最悪にまで落ち込んだ。その後若干持ち直したものの、依然1.3人程度に留まっていた。
 夫婦共稼ぎの家庭が増え、とても安心して出産できる環境にはなかったことが原因である。

 当時の政府は子ども手当の支給に固執したが、毎年の現金給付だけでは出生率の低下に歯止めをかけることは不可能だった。そもそも、育児以前に出産自体が困難な状況だったので、当然と言えば当然の結果であった。

 2013年に新政権から復興五原則が発表されたなかで、少子化問題も重要テーマとして議論された。そこで打ち出されたのが、5年後の2018年までに女性一人あたりの平均出生率を1970年代の2.0人まで引き上げる、という意欲的な政策であった。
 出生率を2人に引き上げることは、人口統計学的に見ればまさに喫緊の課題であった。
 当時の出生率は1.3人程度を上下していたが、それを放置すると2050年の人口ピラミッドは、75歳から80歳をピークに、年齢が下がるに従い尻つぼみになると予想された。そうなっては国家が成り立たなくなるのは、誰の目から見ても明らかである。

 また、出生率は一人の女性が一生に産む子供の平均数であり、1970年代半ばにかけて生まれた第二次ベビーブーム層が出産適齢期の上限に近づいていたため、出生率の向上対策は急を要した。

 そこで打ち出された政策が、子供2人以上の家庭に対する税制優遇措置に加えて、出産・育児環境の大々的な改善である。従来のようなばらまき型の現金給付の考え方を捨て、手当金を出産や育児に直結する分野に間接支給する制度に改めた。
 また、職業に就いている女性であっても、安心して子供を生み育てることができる社会環境の実現を目指した。

 育児勤務制度はその一環として実施された。実施当初は、医療改革が行われておらず健康保険財源も乏しかったため、国が保険組合に無担保無金利で融資することで制度を維持した。2016年に医療制度改革が実施され、その成果により徐々に健康保険財源が潤ったことで、2020年には国からの融資金が完済され、今では国の助成無しで制度の運用ができるようになっている。

 財源に余裕ができた健康保険組合は、前述の在宅健診機器や救急設備の整備に加え、未就学児童の保育所施設の充実にも力を入れた。主要なターミナルには、必ずと言っていいほど保育所が設けられ、出社時に子供を預けることが可能な体制が整った。育児所難民はすでに過去の言葉になった。
 急な残業などで、子供を迎えに行ける時間が遅くなっても、タブレットから迎えに行ける予定時間を入力することで、その時間まで責任を持って預かってくれる。保育所にかかる費用も、健康保険組合が半額を補助してくれるので、家計への負担もそれほど感じることはない。

 こうした出産・育児制度改革の結果出生率はかなり向上したが、残念ながら目標の2018年には出生率が目標値を達成することはできなった。出生率が目標の2.0人を上回ったのは2020年である。
 しかし、かつて少子化に悩んだデンマークが1.38人から1.8人に伸ばすのに22年かかったことと比べても、7年間で2.0人にまで伸びたことは世界的な快挙であった。
 世界のマスコミは‘ジャパン・ミラクルの再来’と大きく取り上げ、少子高齢化に悩む多くの国から注目を浴びる結果になった。