MIT MBA留学日記 ~ その後

2009年6月の卒業後、西海岸で社会人生活を再開。新しいタイトルを思いつくまでこのままのタイトルで続行する日記。

ボンバイエ

2007年07月09日 | 未分類
今日は仕事関係の先輩方に歓送会を開いていただいた。連日、お世話になった方々に色々なところに連れて行っていただいているが、今日は一風変わったところだった。



   アントニオ猪木酒場



その名の通り、アントニオ猪木で彩られた居酒屋だ。大スクリーンで若き日の猪木が闘う”ワールドプロレスリング(当時金曜夜8時放送)”が放映され、壁には所狭しと猪木の必殺技解説が並ぶ。リング、じゃなかったレストランの真ん中にはIWGPチャンピオンベルトが威光を放ち、メニューを見れば猪木(由来の名前をつけた)料理のオンパレード。例えばサラダを頼むと、お客一丸となって「イチ、ニ、サン、サラダー!」と叫ぶ。まさに猪木テーマパークだ。

ただでも熱い酒場だが、今のキャリアを一時停止し学生に戻る今の自分には、猪木の名言が心に染みる。



       この道を行けばどうなるのか

       危ぶむなかれ 危ぶめば道はなし

       踏み出せ

       その一足が道となり その一足が道となる

       迷わず行けよ 行けば分かるさ




こんな熱い酒場に連れて来てくれたM先輩に感謝。


そういえば昔、「タバスコを日本に紹介したのがアントニオ猪木で、彼は日本市場での独占販売権を獲得し、財を成した」という話を聞いたことを思い出した。本当だろうか?


気になったので、調べてみた。ウィキペディアによると、「プロレスラーのアントニオ猪木が経営していたアントンフーズ社が日本に持ち込んだと言われることもあるが、猪木は1943年生まれで会社を設立したのはタバスコの日本導入より後の事である。一時期、輸入を手がけていたに過ぎない。」とのこと。別の資料によると、総代理店権を持っていた時代はあったようである。

自分は商社に勤めていた経験から、当時の猪木が総代理店権を取れたということは、有力な販路を広範に抑えているか、契約当初に一定量の引取り保証(コミットメント)をしていたかの何れかだと推測する。当時猪木はフードビジネスに参入したばかりであるから、恐らく後者だったのだろう。たとえばタバスコ1万本を売れる保証がないまま買い取り、販路の確保に奔走する時期があったということだ。

ということは猪木はリングの強敵と立ち向かいながら、あんなときタバスコ保管の倉庫費用やブランド戦略に頭を悩ませ、こんなとき小売からの値下げ圧力と闘っていた可能性が高い。

やっぱりすごいぞ猪木。