暇人のぐうたら日記

暇人がぐうたらな日々をつづる

臭いものには蓋社会 見えなければわからない

2018-07-07 15:50:43 | 時事
「臭いものには蓋をせよ」という悪しき習慣が日本には古来から存在し、未だに脈脈と引き継がれている。見えなくしてしまえば、そこには何があるのかわからない。そして時が経てばいずれ忘れ去られるだろう。こんな簡単な手段はない。臭いものを根元から取り去るには粗糖な金と浪曲がかかる。だから、手っ取り早く買うしてしまえ。そんな安易な考え方なのである。しかし、そう簡単には行かない。その場しのぎはいつか必ず発覚し大問題になる。例えば、過去に川に水銀を流した水俣病、四日市ぜんそくなどは、安易に川に流せば、大気に放出すれば濃度が薄まるうえに、やがて拡散して消えてなくなるだろうと言う安易な考え方があった。実際には大きな健康被害が出てその損害のために企業を存続させると言うことになった。東京電力の原発にしても未だ海に放出し続けている。しかも安全宣言までしてである。いずれ海水中に遺伝子的疾患を有する変態魚が発生して、食物連鎖となって顕現化するとも考えない。さらに、同じ問題は決して起きないと何の根拠もなく考えている。臭いものに蓋は、実は自分が見たくないために隠す行為なのである。殺人犯が死体を埋める行為と同じである。それを臭いものには蓋をするから結果的に酷いことが起きる。本来、殺人犯なら刑罰を受けるが、政治犯は自分が直接敵に利得を得ない限り罪に問われることはないという慣例がある。特権的法の下の平等といううべきで、法を作る側の人間は罪には問われないと考えている。一種の臭いものに蓋と同じである。においを発生ているのが、その人物なのに蓋をしてしまっているから真実は解明されない。さらには、カジノ法案である。IRという統合型リゾートの中に隠してしまうことにより賭博を合法化してしまう。周囲は奇麗で、華やかな楽し空間の中にあるのだから問題はないと言い張る。臭いものに蓋的考えに過ぎない。カジノは賭博で、賭博を取り締まらなければ、闇の世界にお墨付きを与えてしまい、賭博罪という犯罪が成立しなくなる。あるいは、日本人だけが罪に問われて、外国人は適応除外となる。適応除外を作ってしまえば、悪い外国人が入ってきても罰することができなくなる。すると犯罪の温床になり、やがて綺麗で、煌びやかなだけの建物は廃れる。臭いものだけが残り大変な社会問題となる。働き方改革も過労死によりブラック企業のレッテルを貼られる。だから、残業という目に見える形を見えなくしてしまえば、過労死の実態は隠せると考えたのだろう。しかし、過労死が出るたびに社会問題となり、取り返しのつかないことになり、最終的にはブラック企業のレッテルを貼られる。いじめを隠蔽していた学校がもはや隠せなくなったのと同じ理屈である。さらに悪いイメージを与えることになる。
さて、例を挙げれば枚挙にいとまがない。それほど「臭いものには蓋をせよ」という悪しき慣例が続いているのである。問題を地中に膿めて隠したつもりでも、表面上で問題の根をなくさないといずれは顕在化し泥沼と化す。
オリンピックの為に多額の費用をかけて埋めたてた汚染された土地に築地を移転する計画がある。しかし、人気がるのは古くて懐かしい築地である。豊洲は維持費だけが嵩み利用者は離れていく。不便で汚い土地であることが知られているからである。福島産の水産農林業が壊滅的な被害を受けているのと同じく、豊洲もそう簡単に受け入れられるはずがない。臭いものに蓋をしても知友からは高濃度の汚染物質が地中へと湧き上がっているからである。
そろそろ、臭いものには蓋的習慣は止めてまともに物事と向き合った方が良いと考えるが、自分だけだろうか。

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