暑い日が続きエアコンなしでは過ごせない。ゆでガエル状態だ。しかし、ここでいうゆでガエルとはちょっと意味合いが違う。ゆでガエルは、ある温度で動けなくなってしまった為に最後はゆで上がってしまうという意味である。人間で言えば一定の適温に浸かってそれに慣れ切ってしまい動かないでいると知らない間に適応能力が失われ、周囲の変化に気が付かず近づいている危機に対応できないといったところ。今や長期政権、低失業率に慣れ切ってしまっているが、政界景気は悪化しておりいつ経済状態が悪化し火の粉が降ってくるかもわかかない。しかし、ゆでガエル状態に慣れ切ってしまっているため危機感は感じられない。株価が暴落し始めているのに投資を煽ったり、リストラされないと信じこんでいたり、今の状態がいつまでも持続可能と信じ切っている。好景気の後には不景気が来るのは景気循環という点からも至極当然のことである。ゆでガエル状態は知らない間に神経が麻痺されるから始末が悪い。一度ゆでガエル状態になると決してそこから抜け出せなくなる。ゆでガエルにならないためには、環境を変えて適応力を身に着ける以外にない。環境を変えるのはエネルギーがいるから年を追うごとに難しくなる。年寄りはゆでガエルではなく、干上がったカエルなのである。
僕は自分が薄っぺらい人間だと思う。浅はかな人間とは違う。薄っぺらい人間とは文字通り薄っぺらいのであって、奥深さというものがない。薄っぺらい人間という表現は知っている限り日本独自の表現だと思う。明確な解釈というものがない。お前は薄っぺらい人間だなと言われることもあまりないだろう。包容力の欠如とも異なる。どちらかというと表現力の欠如に起因する面が大きいように思える。言葉をあまり知らないという面もある。学歴とも違う。例えば、仲間で会話をしていると誰かに引き込まれてあまり会話に入れなかったりという経験がある。言い争いをしてもいつも負けてしまい、あの時ああ言えればと後悔することも多い。そんな時に自分は薄っぺらい人間なんだと思う。もちろん恋愛上手でもないし、交渉上手でもない。人を惹きつける魅力もない。自分は生まれ持っての才能だと思い才能がないのだと諦めている。才能って言うのは努力して身につくものではない。だらしがないとかそんなものではない。人間味がないというのが最も適当だろう。