和子の記録 フォト&俳句

長い間ネイチャーフォトを楽しんで来ましたが最近これに俳句の趣味が加わりました。まだ不慣れですがブログに載せていきます。

六地蔵を歩く 四番真性寺 二番東禅寺、

2017-01-09 08:00:00 | 日記

四番真性寺(巣鴨)

二番東禅寺(浅草)

江戸の六地蔵は一番から六番まで造立された順に番号が付けられています。このうちの四番真性寺は山手線巣鴨駅から歩いて5分の旧中仙道の入り口にありました。ここにはとげ抜き地蔵で有名な高巌寺があるため巣鴨のとげ抜き地蔵通りと呼ばれていて賑わっていました。別名おばあちゃんの原宿とも言われています。この地蔵通りをぬけて庚申塚駅から都電荒川線に乗り終点の三ノ輪橋迄行きました。都電荒川線とは都心に残る唯一の路面電車で早稲田停留所から三ノ輪橋停留所まで12.2キロメートルあり30駅を一時間で走ります。運転手さんは一人のワンマン運転でのどかな町並みや寺社や公園沿線を走り抜けます。乗ったり降りたり大勢の人が利用しているのにも驚きましたが運賃が一律170円で私達は30分以上乗っていました。終点で降りて明治通りから土手通りを歩いて浅草に向かいました。
丁度お昼になったので土手の伊勢屋で昼食としました。こちらは明治22年創業の老舗の天ぷら屋で狭い店の外には客がずらっと並んでいて待つこと40分以上。サクッとした触感の天ぷらと濃い口のたれが特徴でしょうか。どんぶりからはみ出しているキス、イカ、海老2本、獅子唐の天ぷらは美味しかったのですがあまりのボリュームに食べきれないほどでした。一度は食べてみたかった土手の伊勢屋に充分満足してまた歩き始めました。
そこから奥州街道の旅の入り口にあった二番目の浅草東禅寺の六地蔵までは迷うことなく訪ねることが出来ました。こちらのお寺も近代的な建物になっていました。


天丼や小春日和の紺暖簾

所属する会の写真展のお知らせです

                第30回 日本写真家連盟 四季の彩り展 第6回 公募作品展
               
             場所  上野 東京都美術館 2階第1展示場(入場無料)
             日時  平成29年1月11日(水)~17日(火) 9:30~17:30
                 16日(月)休館日 初日14:00 最終日14:00

            



同級生と江戸の六地蔵を歩く 一番品川寺

2017-01-04 08:00:01 | 日記

南品川3丁目

京急青物横丁駅から5分の所

笠をかぶっていない六地蔵

帰ってきた鐘楼

昨年は小学校の同級生五人と「六地蔵」を何回かに分けて訪ねました。みんな同じ酉年生まれです。
宝永から享保年間に江戸に出入りする六箇所の街道(東海道、奥州街道、甲州街道、旧中仙道、水戸街道、千葉街道)の入り口に鋳造された地蔵菩薩座像が一体ずつ置かれました。
これを(江戸の)六地蔵と呼びますが、この地蔵は1708年(宝永5年)に江戸深川の僧、地蔵坊正元の発願により浄財を募って鋳造寄進されたものだそうで、台座にはその寄進者の名前が刻まれていました。
六地蔵の一番目が品川寺(ほんせんじ)です。起点である日本橋から銀座、新橋、品川まで、旧跡や碑などを見ながら約11キロ程歩いてたどり着きました。地蔵は旧東海道の面影を残している商店街の中にある寺に安置されていました。街道を通る人の旅の安全を見守ってくれているような優しさを感じさせる大きなお地蔵様です。そしてこの寺には”洋行帰りの鐘”の物語もありました。1867年のパリ万博に、1871年のウイーン万博に出品された後、行方不明になっていた鐘が昭和になってスイスのアリアナ美術館で発見されて1925年に帰国出来たお話です。無事に戻った梵鐘の開眼式(昭和5年5月5日)に列席した高浜虚子が詠んだ句碑が二首ありました。  

         座について供養の鐘を見上げけり             この鐘は暮れゆく春のひびきかな

とありそれ以来鐘供養が晩春の俳句の季語集の仲間入りをしたとの事で毎年5月5日にはこの寺で句会も開かれているそうです。運良く丁度境内にいらしたお寺の方から聞くことが出来ました。


初夢の思い出せねど吉とせむ

酉年の新しい年が明けました おめでとうございます

2017-01-01 08:00:00 | 日記






おめでとうございます。酉年の新年が明けました。酉年にあわせて何か撮るものがないかと探していたところ、番の文鳥を飼っていた娘一家に昨年末よりこれまた番のセキセイインコが新しく加わったとの知らせを受けてこれだと思い、さっそく東京に住む娘宅に写真を撮りに出掛けて行きました。二年前から飼っている文鳥は白文鳥が梅子、桜文鳥が小豆という名前が付いていて手乗りなのですっかり馴れて家族の一員になっていました。買ったときは雛だったセキセイインコがすでに自分で餌を食べれるほどに成長して飛べるようになりました。名前も付いていて 黄色は蜜柑、水色は胡桃というそうです。
酉年にふさわしいベストショットを狙いましたが放し飼いにするとちょこまかと動き回るのでたいへんです。

毎年娘達が一家でスキーに行くときは数日間鳥を預かっていました。文鳥二羽でも大変でしたがこれからはインコを含めて四羽も預かる羽目になりそうで先が思いやられます。
酉年生まれの私がこうなるのは運命なのでしょうか。


今十人長幼待ちて祝ふ屠蘇