![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/60/77/58dba7da31a2de87ec3525a9976e4682.jpg)
広重の小名木川五本松 安政3年(1856)の作品
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/99/fa3f36692645e7fe2a6ab55fa615cdf6.jpg)
江戸名所図より 「 川上とこの川下や月の友 」 芭蕉 47才の時
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/57/ba/c774276d934fd3ef5f4f0987c7547259.jpg)
現在の小名木川の橋の五本松跡
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3f/16/47d18d459c62403e6e3c1a2fe38455e1.jpg)
橋の欄干にあるレリーフ
奥の細道の旅を終えた芭蕉が元禄6年(1680)小名木川五本松のほとりに舟を浮かべて一句吟じたのが「川上とこの川下や月の友」の句だそうです。江戸時代、小名木川の河畔には大きく枝を張り出した老松があり、名所となっていました。現在の江東区猿江2丁目あたりです。ところが広重の描いた絵には一本しか描かれていません。おそらくその後枯れてしまったと思われます。この句を詠んだのは空気が澄んで月が綺麗に見える秋のようです。句を詠んだ芭蕉の気持ちを代弁すると「今この五本松の場所で川面に揺れる月を眺めているが同じ川の川上にいる私の心の友も同じ月を眺めているだろうか」となります。 句の友とは芭蕉の友人として親しく交流していた山口素堂であろうと言われています。山口素堂は芭蕉とは2才違いの葛飾派の俳人で有名な句に”目には青葉山ほととぎす初鰹”があります。先日、芭蕉が詠んだ小名木川五本松の跡が今はどうなっているのか興味を持ち訪ねました。半蔵門線を住吉駅で降りて10分ほど歩くと小名木川橋が見えてきました。この芭蕉の句碑は芭蕉記念館にありました。
水温み宴の舟の気配して