竹林・・・土佐の仲間
根 木 勢 介
「雨後の筍」とは、次々に続いて出てくることのたとえ。筍は、地下茎より芽を出し仲間を増やす。
モウソウチクの地下茎の長さは、一万平方メートルあたり十一万平方メートルにもなるそう。
龍馬につながる「土佐の地下茎」は長大で、多彩な人物が幕末から明治にかけてそれこそ、雨後の筍のように輩出した。竜馬の土佐の仲間は、しかし、竹の子のまえ、つまり志し半ばで死んで行った者が多い。
土佐での竜馬の最大の理解者は、「飛潜誰か織るあらん。偏に龍名に恥じず。」の武市半平太でなかったか。「土佐にあだたぬ」脱藩までの龍馬については、資料が少なく余り語られないが、土佐勤王党に土佐での筆頭署名した意味を考えると既に土佐では「声望」ある存在だったのでは、と私は思う。
筍、竹が伸びるためには降水量、土壌水分が重要だが、明治以降の土佐は、水分が足りないせいか「筍」の不作が続いている。
龍馬のハタチごろには、「坊さんかんざし」で有名な五台山竹林寺の僧純信とお馬の事件が起きた。当時、すでに「おかしなことよな播磨屋橋で」という俗謡が流行していたらしい。後に、いろは丸事件で龍馬が考えたと言われる俗謡は、この事件がヒントなのだろうか。
龍馬が遊んだ浦戸湾や五台山を自宅マンションから眺めながら龍馬の青春を考えている。
龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.157 より転載
根木勢介さんの「龍馬十景」 シリーズ
根 木 勢 介
「雨後の筍」とは、次々に続いて出てくることのたとえ。筍は、地下茎より芽を出し仲間を増やす。
モウソウチクの地下茎の長さは、一万平方メートルあたり十一万平方メートルにもなるそう。
龍馬につながる「土佐の地下茎」は長大で、多彩な人物が幕末から明治にかけてそれこそ、雨後の筍のように輩出した。竜馬の土佐の仲間は、しかし、竹の子のまえ、つまり志し半ばで死んで行った者が多い。
土佐での竜馬の最大の理解者は、「飛潜誰か織るあらん。偏に龍名に恥じず。」の武市半平太でなかったか。「土佐にあだたぬ」脱藩までの龍馬については、資料が少なく余り語られないが、土佐勤王党に土佐での筆頭署名した意味を考えると既に土佐では「声望」ある存在だったのでは、と私は思う。
筍、竹が伸びるためには降水量、土壌水分が重要だが、明治以降の土佐は、水分が足りないせいか「筍」の不作が続いている。
龍馬のハタチごろには、「坊さんかんざし」で有名な五台山竹林寺の僧純信とお馬の事件が起きた。当時、すでに「おかしなことよな播磨屋橋で」という俗謡が流行していたらしい。後に、いろは丸事件で龍馬が考えたと言われる俗謡は、この事件がヒントなのだろうか。
龍馬が遊んだ浦戸湾や五台山を自宅マンションから眺めながら龍馬の青春を考えている。
龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.157 より転載
根木勢介さんの「龍馬十景」 シリーズ