桂浜ファンクラブ

「龍馬伝」が、2010年に放送するNHKの大河ドラマに決定。福田靖さんのオリジナル脚本に、桂浜の龍馬銅像も大きな期待!

根木勢介さんの「龍馬十景」 ③

2009年04月17日 | 個人会員でーす
海・・・鯨・ジョン万  

                      根木勢介


土佐沖を流れる黒潮は、別名黒瀬川ともいわれ、その流れは急流らしい。黒潮上には、鯨はいなくその流れの両側・外側に鯨はいるらしい。幕末前が、米国の捕鯨産業の絶頂期で黒潮辺りにも捕鯨船がたくさん出没していた。太平洋や日本近海の鯨を枯渇させたのは米国の捕鯨だといわれている。


「鯨」が明治維新を起こしたとの説がある。その論は、①ペリー艦隊が日本を訪れる起因となった太平洋上の米国の捕鯨、②倒幕の中心だった長州やそして土佐で捕鯨が盛んで捕鯨収入が藩の原資になったこと。「一浦が鯨一頭取れれば七郷(村)が潤う」と言われる。

江戸時代での経済的効果を試算した人によると鯨一党で250人の人々がい年間食べる米を購入できたことになるそうだ。




維新の志士の中で「海」といえば龍馬。龍馬は海のイメージで語られることが多い。実際にも船を最大限に利用して行動半径を広げた人。龍馬と河田小龍との出会いは、龍馬20歳の時といわれている。ジョン万次郎と龍馬は、出会ったのか。

龍馬が上海へ行った、とかと同じ類の話かもしれないが、ジョン万と龍馬の出会いは、あったか、なかったか、も興味深い。ジョン万が土佐に帰国したころの土佐人・そのころ18歳の龍馬などは、世界の最新情報をジョン万本人やその周辺の人々から入手できる恵まれた環境にあった。ジョン万の影響があって、龍馬は「世界の海援隊」を考えたかもしれない。


龍馬研究会発行 「龍馬研究」No.158 より転載



根木勢介さんの「龍馬十景」 シリーズ

2/22 「龍馬の歌と花」をテーマに第16回「近江屋対談」

2009年02月13日 | 個人会員でーす
坂本龍馬記念館より、イベントのお知らせ携帯メールが届きました。


2009年2月22日(日)
午後6時30分~午後8時の予定で

第16回「近江屋対談」を開催します。
テーマは「龍馬の歌と花」

第16回「近江屋対談」は「龍馬の歌と花」をテーマに、
現在当館2階フロアに展示中の「龍馬の歌と花展」関連企画として開催します。

龍馬の家族は風雅を好み、和歌や音楽をたしなみました。
龍馬もいくつかの和歌を残しています。
その中で花の歌を選んで、歴史研究家の永国淳哉さんが面白く興味深い解釈をしました。

梅の花咲くこの時期に、才谷梅太郎こと坂本龍馬の心にある風景を永国さんとともに皆様と味わって見たいと思います。対談相手は記念館学芸主任・前田由紀枝
ぜひご参加ください。

また、対談前には「桂浜水族館」学芸員・丸林友文さんによる紙芝居も開催します。

対談までは、「海援隊約規物語」展開催中の館内をごゆっくりご見学ください。

参加費は無料ですが、一般(18歳以上)の方は入館料500円が必要です。
※各種手帳所持者無料

定員は30名となっておりますので、参加ご希望の方は事前にお電話(088-841-0001)で申し込みください。

HN:龍馬

浦戸城址の史跡となりて・・・瀬戸鉄男  (「城山」第一号より)

2009年02月02日 | 個人会員でーす
浦戸城址の史跡となりて       
                 瀬戸鉄男  (「城山」第一号より)


(一)はじめに
 「月の名所」桂浜は、龍頭岬から眺める景観と坂本龍馬の銅像等、た
しかに日本を代表する景勝地であり、訪れる人は何かを感じることであ
ろう。
 しかしながら、単なる一日の外見的な観光に終わらせるには、惜しま
れる古城跡としての城山ではなかろうか。
 長宗我部盛衰の歴史に始まり、山内氏の入国、そして明治維新から近
代日本へと続く時代の変遷は、土佐の先人の足跡でもあろう。
 浦戸の城山から眺望する太平洋と北山の峰を借景として、浦戸湾から
高知方面を遠望するとき、この雄大なる景観に内包される四百年の歴史
を重ねて思うとき、しばし立ち去り難い城山ではなかろうか。
 長宗我部氏の歴史の中で、今年は慶長元年(一五九六)八月二十六
日、イスパニヤのサン・フェリペ号の浦戸漂着から丁度四百年目に当た
る。
 この漂着問題は、元親が浦戸へ移転後五年目の大事件であった。
 これに関する詳細を印した文献としては、関田駒吉歴史論文集「サ
ン・フェリペ船の浦戸漂着」(高知市民図書館発行)があるので、本紙
創刊にあたり、一部抜粋を交えながらこれらについて、またその他浦戸
城移転の背景等について以下記すことにする。

(二)サン・フェリペ船の浦戸漂着
前記紹介文献抜粋
 慶長元年(一五九六)の呂宋船
 慶長元年の秋、西班牙船サン・フェリペは、呂宋よりメキシコに向け
航海中暴風に遭遇し、舵機を破壊せられ、針路を転じて長崎に避航せん
とし、漂蕩して土佐浦戸港外に表はれた。
 長宗我部元親之を港内に引入れ、豊臣秀吉に急報した。
 秀吉即ち増田長盛を使はし、貨物全部を没収して之を大坂に運送せし
め、船員には食糧品を贈与して長崎より帰国せしめた。
 而して本件は、サン・フェリペの水先案内人フランシスコ・デ・サン
ダが貨物没収を阻止せんとして、威嚇的に布教に因るペリュウ、メキシ
コ等外国征服の実例を壮語せしたことから、秀吉の憤怒を買ひ、外教厳
禁の因を為したことと、尋で起った長崎に於ける教徒二十六人の殺戮と
に関連して著名なる事件である。(以下略)
 太平洋に面した四国唯一の海港の城下町を浦戸に求めた元親の構想
は、やはり近代につながる発想であったと思われる。
 秀吉政権下における国際的事件の舞台となったこの浦戸城山の一角に
サン・フェリペ号漂着の記念碑建立を切に待たるる思いがするものであ
る。
(三)浦戸移転の背景
 長宗我部氏の浦戸在城の時代は、わずかに十年の命運でしかなかった。
 元親は、天正十五年(一五八七)頃より居城を岡豊山より大高坂へ移
転しようと、諸般の施策を進めてきたようである。
 大高坂城への移転は、天正十六年より始め、二、三年後の十九年冬頃
終わった、と、諸書には記されている。 
 浦戸へ移転の理由はいろいろあったようであるが、大高坂水害の理由
が最大であったと思われる。
 従って当時の時代背景、次ぎの構想として浦戸をその居城にと行動に
移ることが急がれ、元親の指導力と大英断が要求されたものと思われる。
 当時の出来事をいくつか述べて考えてみたい。
 天正十三年(一五八五)七月、元親は秀吉に降伏して土佐一国を許さ
れた。
 翌年秀吉の命により九州へ出兵、長宗我部勢にしては、海を越えて水
軍による初陣であった。
 そして、豊後の国戸次川に於ける島津勢との戦いで、十二月十二日、
長男信親始め七百余人の戦死者を出す敗北となった。
 そのあと家督相続の問題から骨肉に争いなど晩年の元親は、人生が大
きく狂ってきたと思われる。
 この継●問題は、長宗我部の大きな悲劇となった。
 土佐に残る七人みさき怨霊の伝説が語り草となって伝えられてきたの
である。
 更に秀吉の命により、小田原戦に水軍を率いて参戦したのは、大高坂
城へ移転中の天正十八年であった。
 二年後の文禄元年(一五九二)には朝鮮遠征をひかえていたので、小
田原での水軍の経験からも浦戸湾という天然の良港をひかえた浦戸への
移転を決断して、人生最後の建直しを考えたと思いたい。

(四)最後の光芒
 秀吉は九州平定後の天正十五年五月には、羽柴秀長を通じて、大隅国
を元親に与えようと告げさせたという。(土佐国●簡集 巻五)
 元親はこれを辞退したのであったが、ついで九月より長宗我部検地を
始めたり、秀吉の信頼を一身に感じて元親は、ようやく立ち直ろうとし
た。
 思えば、永禄三年(一五六〇)元親十八歳の長浜城戸の本の合戦以来
慶長二年(一五九七)二度目の朝鮮出兵まで三十七年に及ぶ戦いに明け
暮れた時代であった。
 戦国乱世の人々の障害が、わかるような気がするものである。
 土佐が生んだ戦国英雄の一人長宗我部元親も遂に伏見の邸において、
慶長四年五月一九日六十一歳の生涯を終えた。
 法号「雪●怨三大禅定門」
 浦戸在住の十年の時代は、いうなれば、長宗我部氏最後の光芒であっ
た。
 平成五年八月十三日、国民宿舎桂浜荘の建築工事の始め天守台跡の南
に延びる一角の小山から土塁跡の石垣が発見され、次いで大規模な石垣
(総延長百メートル)が九月九日発見されたのである。
 ついに浦戸城は四百年の眠りからさめたのであった。
 浦戸城址保存会と住民の熱烈な運動によって、高知市はこれを永久保
存として、地中に埋めもどしたのである。
 この保存運動の詳細については、次の機会とする。



※ おことわり ●印は変換できなかった部分です。



城山  第1号  発行 (浦戸城址保存会・長宗我部顕彰会・元親会)より転載

坂本龍馬記念館からこんなケイタイメールが入りました!

2008年10月17日 | 個人会員でーす


10月17日、携帯メールが配信されました。
イベントのお知らせを時々いただきます。

  イベントのお知らせ

「オカリナと月琴とギターの夕べ~桂浜龍馬銅像建立80周年を祝って」開催

日時:2008年11月1日(土)
開場:午後5時30分 開演:午後6時
会場:国民宿舎「桂浜荘」地下1階ホール(当館すぐ隣です)

演奏者 本谷 美加子さん(オカリナ演奏)
     永田 斉子さん(月琴・リュート演奏)
     蓮見 昭夫さん (ギター演奏)

料金: 記念館入館料(一般500円)のみ/高校生以下、各種手帳所持者無料
定員: 200名(先着・要申込み)

桂浜龍馬銅像建立80周年を記念し、「オカリナと月琴とギターの夕べ」を開催いたします。
お龍の弾いた月琴と同時代の、同じ小曾根家から記念館が購入した月琴での演奏です。
3人の競演をお楽しみ下さい。

※ 坂本龍馬記念館で「海援隊約規物語展」(10/1~3/22 入館料:500円)をご覧いただいた後、桂浜荘でコンサートにご参加下さい。


参加ご希望の方は事前にお電話(088-841-0001)またはFAX(088-841-0015)で、氏名・住所・連絡先をお伝えいただき、お申込み下さい。

HN:龍馬

龍馬へ宛てた1500通の手紙

2008年10月05日 | 個人会員でーす

時は過ぎても
                        平成11年3月7日

坂本龍馬という人間が、その死後何十年立っても、私たち若者に生きる力を与える存在でありつづけているのは、龍馬さんあなたの悲しみや挫折にくじけない、明るくスケールの大きい生き様が本当に魅力的だからなのでしょう。
そして、あなたのその「生」をつくりあげたのは、他でもない、素敵な同時代の友人たちなのでしょう。
幕末の激動の時代、自分の命をかけて生き抜いた龍馬さん。そして勝海舟、高杉晋作、中岡慎太郎・・・。
私もあなたのような仲間と出会いたい、と心から思っています。
でも、そのためには、私も龍馬さんのように志を大きくもって、魅力的な人間にならなくちゃね。
がんばるぞ!龍馬さんこれからも私を見守ってね!
                 東京 K.O (19)

近況
四国出身の夫と出会い、その後長野県に移住して、田舎暮らしを始めました。
2008年には赤ちゃんも生れます。
山あり谷ありでしたが、これからは静かなスローライフを送って生きたいと思っています。


以上は、今年7月30日に発売になった
坂本龍馬記念館の入館者の皆さんが、龍馬に宛てた手紙1500通が一冊にまとまった「ほいたら待ちゆうき 龍馬」(370頁)
の211ページより引用させていただきました。

毎夜少しづつ、楽しみに読んでいます。
楽しみを周りの人達にも分けてあげることが出来たらと、紹介させていただきました。

坂本龍馬記念館にもありましたが、私は高知市内の書店で買いました。

価格:1,300円 送料:290円(1冊分)
2008年7月30日、幻冬舎ルネッサンスより全国発売!
詳細は坂本龍馬記念館のホームページで
http://www.kochi-bunkazaidan.or.jp/~ryoma/



コウチャンです


土佐出身で3年程前に土佐から岡山に拠点を移し音楽活動をしてます

2008年09月24日 | 個人会員でーす

私 土佐出身で3年程前に土佐から岡山に拠点を移し音楽活動をしてます。
今年3/26CDアルバム「MUSIC LIFE」を全国発売しております
挿入歌にサムライと言う曲がありまして サムライを歌う時には龍馬の衣装を着て地方のテレビ ライヴに出演しておる者です 土佐を離れて龍馬に興味を持ちつくずく龍馬の偉大さを感じ土佐を誇りに思っております。
実は岡山では色んな企業の偉い方と知り合い色んな企業の曲を作らせて頂きました。そして今年私の一つの夢でもあったメジャーデビューが決まり10/1CD「タビビト」を全国リリース致します。挿入歌の1曲目に「幕末コンクリート」と言う曲を入れさせてもらってます この曲は幕末から坂本龍馬が現代のコンクリート社会にタイムスリップし若者に生き方を問う をコンセプトに作りました プロモーションビデオは桂浜にて龍馬の着物を着てバックダンサーに高知大学の学生さん達に手伝って頂き撮影してまいりました。
今の自分があるのも龍馬がいつも背中を押してくれたお陰だと思っております 私まだまだ小さなシンガーではありますが全国の龍馬ファンの方々にこんな男も居るんだ!と知って頂きたく投稿させて頂きました。


HN:ミヤチャン