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笑い方の練習をしていたときのこと。

2016年09月12日 20時55分40秒 | 子育て

おかん曰く、親父は俺や妹を風呂に入れたことや世話をしたことが、
ほとんどないらしい。


親父と俺と妹

こんな写真は残っているけれど、これは俺が小学生以上になってからのことだろう。

そんな親父が、我が息子の風呂を自らすすんで、入れてくれている。
孫は目に入れても痛くないとはいうけれど、この変化に俺は驚いた。



親父と我が息子


考えてみれば、親父は息子が生まれてから、笑うことが多くなった気がする。
自然な笑顔が多くなった気がしている。
多少、素直になれないような、または困ったような笑顔は今までも見せていたけれど、
息子が生まれてこの方、息子と接するときは、大体が笑顔だ。
口角があがるだけじゃない、声を出して、笑っていることが多い。
自覚があるのだろうか、俺はその変化に、驚いているけれど。

なんで、俺の世話はできなくて、孫の世話はできるんだろう。
余裕があるから?たまにだから?息子の子どもだから?色々理由はあるだろうけれど。

俺はできなかったことを、後悔しているからじゃないかと思っている。
後悔っていうと響きが悪いかな、気づけなかった、とでもいいかえようか。

その時は、楽しさや幸せがわからなかったこと、またはそれじゃなくても幸せを感じていたことって、
誰しもに経験がある。

うまい例えではないかもしれないけれど、ビールの味なんかその一つ。
重ねればわかるものがある。
それともう一つは、がむしゃらな時代だったんじゃないかなって。
子育てって楽しいものだ、子どもってかわいいものだって、気づけない時代だったのかもしれないな。
女性のものだという先入観が先走って、自分とは関係ないものとして思っていたのかもなぁ。


昔誰かに聞いたことがある。


人を怒らせるのは簡単だけど、人を笑顔にすることは難しい。
誰しも怒らせる方法はあるけれど、誰しも笑顔にする方法は多様だというのだ、

なるほど。一理ある。

赤ちゃんってのはその点すげぇ。
ニコってしたら、こっちもニコってなるもんな。

そういえば、俺が小学生くらいの頃かな。
親父の笑い声が風呂から聞こえてきたことがあった。

「アハハハ、アハハハハッハ」

どこか乾いたその違和感のある笑い声の理由をおかんに聞くと、

「笑い方の練習をしているんだって」

なんでそんな練習をしているんだ?その時はそれ以上考えなかったけれど、
親父なりにコミュニケーションに苦慮していた時期があったんだろう。

親父も、器用ではないのかもしれない。
人として、俺は憎めない人だなと、いい男だなって本当に思うけど、
器用に生きられないときがあるんだろうなと思うときもあるんだよね。

何かを始めることに、遅すぎることなんてない。

スタートするということは歳を重ねてから子育てに関わるように、
失敗と練習の積み重ねによって生まれる幸せの種だと思うんだ。

その種を誰かにまいてもらうような、生き方でいいのか。
俺は親父が選んだように、自分で蒔いていける生き方を、選ぼうと思うよ。

もう、笑顔の練習はいらないだろ。
人は、自分にとって本当に重要なことは、けっしてあきらめない。
あきらめるのは、自分にとって本当に重要ではないことだ。


同じなんだぜ。

いつもありがとう。




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