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凡人日記(旧)

poco a poco でも成長を

K.フサ/エレジーとロンドを考える

2017年09月21日 | 調べもの

本来なら試験前に投稿しておきたかったのだが、まとまった時間が取れず結局この時期になってしまったが、ここではフサのエレジーとロンドについて考察する。

私が所属する尚美ミュージックカレッジ専門学校の楽曲試験では、自身が取り上げる楽曲についての楽曲分析をレポート形式で提出することが必須となっている。
そのレポートをもとに、楽曲を調べる中で見えてきたもの、疑問に思ったもの、などをまとめる次第である。改めて見返しても細かい分析が足りていないが、そこは私の知識不足ということで、今後改定を加えていく。

ただし、先に何点か把握したうえで読んでいただきたいので以下に記載する。

一、本文中、他のブログや情報源から引用することもあるだろうがリンクの許可を逐一とっていてはきりがないので、紹介にとどめることとする。
一、上記を含め、多数の意見、演奏を考慮したうえでの私個人のまとめであるため、発言の責任は私にある。本文中の疑問などは他の紹介者ではなく、この記事をまとめる私に投げかけていただきたい。
一、私もまだまだ調べているさなかであるため、いくつか怪しい点もあるため疑って読んでいただきたい。

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1)K.フサの生い立ちについて

 カレル・フサ(Karel HUSA)は1921年にチェコはプラハで生まれた。
プラハ音楽院やパリ音楽院に学び。作曲をA.オネゲル(1892-1955)やN.ブーランジェ(1887-1979)に、指揮をA.クリュイタンス(1905-1967)に師事した。

 フサが注目されるようになったのは1954年にコーネル大学教授としてアメリカに渡ってからのことである。
1969年に「弦楽四重奏第3番」でピューリッツァー賞を、1994年に「チェロ協奏曲」でグロマイヤー賞を受賞し、その実力を証明している。

フサの作品の中でも。プラハの春を題材にした吹奏楽作品である「プラハのための音楽1968年」は、出世作であり、のちにG.セルの依頼により管弦楽用にも編曲され、現在も広く演奏されている代表作である。

 2016年に95歳で死去。晩年はニューヨーク州イサカに在住していた。

その他、この地球を神と崇める、スメタナ・ファンファーレ、チーターなど吹奏楽作品は人気であり、コンサートはもちろん、CDレコーディングも現在もされている。


2)エレジーとロンドについて

2-1)楽曲について
 フサはサクソフォーンのために数曲ではあるが作品を残してる。だが、残念なことにどの曲も難易度高く、楽曲の理解が難しいため演奏されることは少ない。
 
 その曲たちはほとんどがS.ラッシャーへ献呈された作品である。
当時、サクソフォーンの神様と呼ばれていたM.ミュールと時代を分割していたといわれるラッシャーは、様々な作曲家に委嘱してレパートリーの拡大に努めていた。
 W.ベンソンの紹介により、フサとラッシャーが出会い、1960年に「エレジーとロンド」が生まれた。
また、1967年には協奏曲が作られた。

 タイトルの通り、エレジーとロンドで分けることが出来るが、曲自体はアタッカで繋がっている。
全体で10分にも満たない作品ながら、オーケストラとアルトサクソフォーンのために作られている。
また、ラッシャーへ献呈された作品に良く見られるフラジオ音域も多用されることなく、サクソフォーンのみで考えるならば難易度はそこまで高くない。

2-2)エレジーについて

 日本では哀歌と訳され、意味は死を哀悼する詩のことを指す。
曲は冒頭から教会旋法が使われ、サクソフォーンのメロディーにはグレゴリア聖歌のようなモティーフを感じることが出来る。
フサがキリスト教徒であったかは定かではないが、プラハの春への怒りなどを見る限りではフス派だったのではないかと想像できる。そのため死を哀悼するためにグレゴリア聖歌のようなモティーフを使ったのではないかと考える。
 歌というより詩に近いメロディーはだんだんと熱を帯びてくる。
冒頭でサクソフォーンが奏でたメロディーをピアノが受け継ぎ、サクソフォーンはトリルや何かを呼ぶようなパッセージを繰り返す。ピアノがG音を連打した後、音量は急に落ち不安定な和音を奏でる。
 サクソフォーンの呼びかけにピアノもだんだんとクレッシェンドをし、ffを迎える。ここでの動きがピアノとサクソフォーンで鏡状になっているのが面白い。
サクソフォーンは短いパッセージを挟み、ピアノはCis音を連打し、エレジーの頂点を迎える。サクソフォーンの短いパッセージの最後が音階になっていることも、音楽の熱量に比例しているかのようだ。
 強烈なクレッシェンドはフェルマータを挟み、フラジオ音域を伴った頂点を迎える。
 しかしすぐに曲は落ち着きを取り戻し、まるで何もなかったかのように死へ哀悼をささげて終わりを迎える。
爆発しては冷静になりの繰り返しは、まるで何かの予兆のようにも感じ取れる。

2-3)ロンドについて

楽譜にrondeauと表記されているがrondoの形式として見ることも出来る。一般的にそれらは区分されて考えられる。
rondeauとして15を基軸にフレーズを考えることも出来るが所々でズレが生じる。
しかしながら、同一パターンの繰り返しなどから吹奏することも出来るが、L.クープランらによって簡単なリフレイン形式のダンスの楽章に適用されていたこと考えると、それにも当てはまるかも知れない。
如何せん、いまの私の理解範囲を越えたことであるため、ここではなぜrondoではなく、rondeauの表記になっているのかは記載することが出来ない。

 冒頭は8分の6拍子で書かれrondoのように取れる。が、ピアノはポツポツと不気味なリズムを刻む。
 不意にサクソフォーンが現れたかと思うとすぐ消える。しばらくこれらを繰り返したのち、拍子がやっと見え始める。
ピアノの楽譜には細かくディナーミクの表記があるが、これらが曲の不気味さを掻き立てているように感じる。

 ここでも山を迎えようとするとこで、フェルマータにより突然に音楽が止まる。しばらくしてまたフェルマータを挟み、今度は4分の2拍子になる。と同時に、今まで激しく動いていた2パートともまた冷静を取り戻す。
 膨らんでは萎みを様々な形で繰り返す。時折、8分の6拍子の時に出てきたパッセージも形を変えて顔をのぞかせる。
 一度大きな山を迎えて後で4分の2拍子の中に三連符が多用される。
ピアノとサクソフォーンが互いに反発しあうかのように強烈なリズムパターンが繰り返される。このあたりから音楽のエネルギーはまた熱を帯び始める。
 かと思うとサクソフォーンの速い3連符のパッセージが休みなくf-ffで演奏され、一気に音楽は爆発する。
 ディナーミクが落ち着いても、今度は熱が冷めることはなく、むしろaccel.とcresc.を伴ってフィナーレへと突き進む。
Poco piu vivoでフィナーレ目前まで迫っているにも関わらず、熱は冷めることを知らず、サクソフォーンとピアノは3連符をこれまでなく奏でる。加えて、今までとは違い、穴がないようにどちらかが休符のところは、どちらかが補っている。
サクソフォーンはフラジオ音域まで一気に駆け上がり、下って来たかと思うと今度は16分の3連符の上行パッセージでフィナーレを迎える。
 エレジーから蓄えられてきたエネルギーはここぞとばかりに、終結部で爆発する。


3)スコアとパート譜の楽譜相違点

 LEDUC社が出版しているピアノリダクション版では、スコアとパート譜でかなり楽譜が異なっている。
その数は膨大すぎてこちらにはとても書ききれないほどである。
 
 YoutubeやCD、ナクソスミュージックライブラリーなどの音源を聴いても、残念ながら反映されている音源は見当たらない。
ラッシャーの音源が見つかればいいのだが、それも叶わず、作曲家も昨年急死されたので確認の取りようがない。
 今回はピアノとの兼ね合いや前後関係、似たモティーフからあくまで推測し、多くの個所を訂正した。

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