ここではデニソフのソナタについて考察する。
私が所属する尚美ミュージックカレッジ専門学校の楽曲試験では、自身が取り上げる楽曲についての楽曲分析をレポート形式で提出することが必須となっている。
そのレポートをもとに、楽曲を調べる中で見えてきたもの、疑問に思ったもの、などをまとめる次第である。改めて見返しても細かい分析が足りていないが、そこは私の知識不足ということで、今後改定を加えていく。
ただし、先に何点か把握したうえで読んでいただきたいので以下に記載する。
一、本文中、他のブログや情報源から引用することもあるだろうがリンクの許可を逐一とっていてはきりがないので、紹介にとどめることとする。
一、上記を含め、多数の意見、演奏を考慮したうえでの私個人のまとめであるため、発言の責任は私にある。本文中の疑問などは他の紹介者ではなく、この記事をまとめる私に投げかけていただきたい。
一、私もまだまだ調べているさなかであるため、いくつか怪しい点もあるため疑って読んでいただきたい。
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1)E.デニソフについて
エディソン・ヴァシリイェヴィチ・デニソフ(Edison Vasilievich Denisov)は旧ソ連の作曲
家。1929 年 4 月 6 日にトムスクで生まれ、1996 年 11 月 24 日にパリで亡くなった。
社会主義リアリズム路線に反抗して西側の現代音楽と歩調を合わせた作風を採ったことから、非妥協的な「反体制派」の作曲家の長老と看做された。ソ連崩壊に前後してロシアを去り、西側に事実上亡命した。
シベリアにて放射線の専門家である物理学者の家庭に生まれる。親が偉大なアメリカ人発明家にあやかろうとしたため、エディソンという風変わりな名前を付けられた(本来エジソンは姓であって名ではない)。作曲家に転向するまでは数学を専攻していた。作曲はドミートリイ・ショスタコーヴィチの指導を受けており、作曲家への転身もショスタコーヴィチが親身になって支えた。
1951 年から 1956 年までモスクワ音楽院に学び、作曲をヴィッサリオン・シェバリーンに、管弦楽法をニコライ・ラコフに、楽曲分析をヴィクトル・ズッケルマンに、ピアノをヴラジーミル・ベーロフに師事。
モスクワ音楽院を修了すると、そのまま管弦楽法や、後には作曲法の教員として音楽院に留まった。同時に、当時ソ連で利用することの困難だった楽譜の独自の研究をする(例えばピエール・ブーレーズやカールハインツ・シュトックハウゼンら現代の作品だけでなく、グスタフ・マーラーやクロード・ドビュッシーといった前世紀末の作品も含まれる)。現代の作曲技法のさまざまな側面について詳細に分析した一連の論文を執筆し、それと同時に、作曲家として自分の活路を見出すために積極的な模索を続けた。
日本では「デニゾフ」と呼ばれることが多いが、その他「デニソフ」、「デニーゾフ」、「デニーソフ」など様々に訳されている。
多くのジャンル、楽器・編成に作品を残しているが、サクソフォーンの作品は(知っている範囲で)以下の通り。
・アルトサクソフォーンとピアノのためのソナタ(1970)
・サクソフォンと打楽器奏者のための小協奏曲(1977)
・アルトサクソフォンとチェロのためのソナタ(1994)
・2つの作品(?)
・5重奏曲:ピアノとサクソフォーン四重奏のための(1991)
・サクソフォーン協奏曲(ヴィオラ協奏曲の作者による改訂版)
2)ソナタについて
この曲は 1970 に、世界的に有名なサクソフォン奏者のジャン=マリー・ロンデックスに献呈された。初演は 1972 年 12 月 14 日にもちろんロンデックス氏によって行われた。
構成は3楽章形式であり、当時はまだ珍しく思われていた特殊奏法がふんだんに取り入れられ、いわば実験的な、いわゆる現代音楽へのアプローチである。
第1楽章「Allergo」のテーマの音名 D-Es-C-H は、恩師のドミトリー・ショスタコーヴィッチの名前をドイツ語に翻字し、さらにそれをドイツ音名に変えたものだとされている。
このような名前を音名にあてる行為はデニゾフ自身も EDS(ミ♭)が、自分の名前(EDiSon DEniSov )に当てはまるとして、1970 年代~1980 年代の作品に頻繁に見受けられるようになる。
強烈な音の連打と休符による、動と静が印象的である。
また調性の判断ができないものの。1小節~を主題とすれば、42 小節~展開部(3/16 がこ
こから埋まる)、100 小節~再現部(Coda 部?)のソナタ形式にも取れるのではないだろうか。
第2楽章「Lento」は小節線のないサクソフォーン無伴奏の楽章。
重音から始まり、分数連符・微分音と自由でありながら制約された音列。そこから紡ぎだされる音楽は神秘的であり、ホールに漂う残響、休符での会場の空気感はこの上なく幻想的である。
第 3 楽章「Allegro moderato」はジャズを意識した書法が見受けられる。
ピアノのベースのオスティナートの中で即興的な動き、ピアノとの絡み合いを見せる。
1楽章で見られた分数連符などがまた現れ、スコアを見ると複雑のように感じられるが常に休符を埋めあったり、同じタイミングで入ったりとビートは常に(さらに一定に)存在している。また、ピアノが反進行や鏡面になっているのが美しく、響きも独特なものになっている。
部分の終わりでは2つのパートが寄っていくのが印象的である。まるで絡まっていた糸がほどけるようにシンプルな作りへとなっていく。
最後はppから怒涛の3連符の音列を、サクソフォーンとピアノで微妙にずらしながら拡大させていくことにより、増大な音楽のエネルギーを蓄積し、途中でそれを放出することなく更に蓄積し直して、第1楽章の終わりと同じ強烈な和音をピアノが奏でサクソフォーンは(通常音域で)最高音を奏で印象的な終わりを迎える。
私が所属する尚美ミュージックカレッジ専門学校の楽曲試験では、自身が取り上げる楽曲についての楽曲分析をレポート形式で提出することが必須となっている。
そのレポートをもとに、楽曲を調べる中で見えてきたもの、疑問に思ったもの、などをまとめる次第である。改めて見返しても細かい分析が足りていないが、そこは私の知識不足ということで、今後改定を加えていく。
ただし、先に何点か把握したうえで読んでいただきたいので以下に記載する。
一、本文中、他のブログや情報源から引用することもあるだろうがリンクの許可を逐一とっていてはきりがないので、紹介にとどめることとする。
一、上記を含め、多数の意見、演奏を考慮したうえでの私個人のまとめであるため、発言の責任は私にある。本文中の疑問などは他の紹介者ではなく、この記事をまとめる私に投げかけていただきたい。
一、私もまだまだ調べているさなかであるため、いくつか怪しい点もあるため疑って読んでいただきたい。
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1)E.デニソフについて
エディソン・ヴァシリイェヴィチ・デニソフ(Edison Vasilievich Denisov)は旧ソ連の作曲
家。1929 年 4 月 6 日にトムスクで生まれ、1996 年 11 月 24 日にパリで亡くなった。
社会主義リアリズム路線に反抗して西側の現代音楽と歩調を合わせた作風を採ったことから、非妥協的な「反体制派」の作曲家の長老と看做された。ソ連崩壊に前後してロシアを去り、西側に事実上亡命した。
シベリアにて放射線の専門家である物理学者の家庭に生まれる。親が偉大なアメリカ人発明家にあやかろうとしたため、エディソンという風変わりな名前を付けられた(本来エジソンは姓であって名ではない)。作曲家に転向するまでは数学を専攻していた。作曲はドミートリイ・ショスタコーヴィチの指導を受けており、作曲家への転身もショスタコーヴィチが親身になって支えた。
1951 年から 1956 年までモスクワ音楽院に学び、作曲をヴィッサリオン・シェバリーンに、管弦楽法をニコライ・ラコフに、楽曲分析をヴィクトル・ズッケルマンに、ピアノをヴラジーミル・ベーロフに師事。
モスクワ音楽院を修了すると、そのまま管弦楽法や、後には作曲法の教員として音楽院に留まった。同時に、当時ソ連で利用することの困難だった楽譜の独自の研究をする(例えばピエール・ブーレーズやカールハインツ・シュトックハウゼンら現代の作品だけでなく、グスタフ・マーラーやクロード・ドビュッシーといった前世紀末の作品も含まれる)。現代の作曲技法のさまざまな側面について詳細に分析した一連の論文を執筆し、それと同時に、作曲家として自分の活路を見出すために積極的な模索を続けた。
日本では「デニゾフ」と呼ばれることが多いが、その他「デニソフ」、「デニーゾフ」、「デニーソフ」など様々に訳されている。
多くのジャンル、楽器・編成に作品を残しているが、サクソフォーンの作品は(知っている範囲で)以下の通り。
・アルトサクソフォーンとピアノのためのソナタ(1970)
・サクソフォンと打楽器奏者のための小協奏曲(1977)
・アルトサクソフォンとチェロのためのソナタ(1994)
・2つの作品(?)
・5重奏曲:ピアノとサクソフォーン四重奏のための(1991)
・サクソフォーン協奏曲(ヴィオラ協奏曲の作者による改訂版)
2)ソナタについて
この曲は 1970 に、世界的に有名なサクソフォン奏者のジャン=マリー・ロンデックスに献呈された。初演は 1972 年 12 月 14 日にもちろんロンデックス氏によって行われた。
構成は3楽章形式であり、当時はまだ珍しく思われていた特殊奏法がふんだんに取り入れられ、いわば実験的な、いわゆる現代音楽へのアプローチである。
第1楽章「Allergo」のテーマの音名 D-Es-C-H は、恩師のドミトリー・ショスタコーヴィッチの名前をドイツ語に翻字し、さらにそれをドイツ音名に変えたものだとされている。
このような名前を音名にあてる行為はデニゾフ自身も EDS(ミ♭)が、自分の名前(EDiSon DEniSov )に当てはまるとして、1970 年代~1980 年代の作品に頻繁に見受けられるようになる。
強烈な音の連打と休符による、動と静が印象的である。
また調性の判断ができないものの。1小節~を主題とすれば、42 小節~展開部(3/16 がこ
こから埋まる)、100 小節~再現部(Coda 部?)のソナタ形式にも取れるのではないだろうか。
第2楽章「Lento」は小節線のないサクソフォーン無伴奏の楽章。
重音から始まり、分数連符・微分音と自由でありながら制約された音列。そこから紡ぎだされる音楽は神秘的であり、ホールに漂う残響、休符での会場の空気感はこの上なく幻想的である。
第 3 楽章「Allegro moderato」はジャズを意識した書法が見受けられる。
ピアノのベースのオスティナートの中で即興的な動き、ピアノとの絡み合いを見せる。
1楽章で見られた分数連符などがまた現れ、スコアを見ると複雑のように感じられるが常に休符を埋めあったり、同じタイミングで入ったりとビートは常に(さらに一定に)存在している。また、ピアノが反進行や鏡面になっているのが美しく、響きも独特なものになっている。
部分の終わりでは2つのパートが寄っていくのが印象的である。まるで絡まっていた糸がほどけるようにシンプルな作りへとなっていく。
最後はppから怒涛の3連符の音列を、サクソフォーンとピアノで微妙にずらしながら拡大させていくことにより、増大な音楽のエネルギーを蓄積し、途中でそれを放出することなく更に蓄積し直して、第1楽章の終わりと同じ強烈な和音をピアノが奏でサクソフォーンは(通常音域で)最高音を奏で印象的な終わりを迎える。
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