凡人日記(旧)

poco a poco でも成長を

H.トマジ/コンチェルトより第一楽章を考える

2018年02月21日 | 調べもの
私が所属する尚美ミュージックカレッジ専門学校の楽曲試験では、自身が取り上げる楽曲についての楽曲分析をレポート形式で提出することが必須となっている。
そのレポートをもとに、楽曲を調べる中で見えてきたもの、疑問に思ったもの、などをまとめる次第である。改めて見返しても細かい分析が足りていないが、そこは私の知識不足ということで、今後改定を加えていく。

ただし、先に何点か把握したうえで読んでいただきたいので以下に記載する。

一、本文中、他のブログや情報源から引用することもあるだろうがリンクの許可を逐一とっていてはきりがないので、紹介にとどめることとする。
一、上記を含め、多数の意見、演奏を考慮したうえでの私個人のまとめであるため、発言の責任は私にある。本文中の疑問などは他の紹介者ではなく、この記事をまとめる私に投げかけていただきたい。
一、私もまだまだ調べているさなかであるため、いくつか怪しい点もあるため疑って読んでいただきたい。

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1)トマジについて

 アンリ・トマジ(Henri TOMASI)は、フランスの作曲家、指揮者である。
1901年8月17日にマルセイユで生まれ、1971年1月13日にパリで亡くなった。
 パリ国立高等音楽で、対位法及びフーガをジョルジュ・コサード,作曲をポール・ヴィダル,指揮法をヴァンサン・ダンディとフィリップ・ゴベールに師事。
 1927年にはカンタータ「コリオラン」でローマ賞作曲部門2位、指揮部門の1位を獲得した。
 1932年にプロコフィエフ,プーランク,ミヨー,オネゲル,フェルーらとともに,室内楽演奏の団体【ル・トリトン】を創設。
 1926年にアルフェン賞,1953年にフランス音楽大賞,パリ市音楽大賞を受賞。1956年から1960年までモンテカルロ歌劇場の音楽監督を務めるなど,活動の中心は指揮者としてのものであり,作品の大半は晩年の15年間に書かれたものである。
 作品は交響曲、劇場音楽、歌曲など100曲を超える。特に、管楽器を用いた作品は、この分野の重要なレパートリーとして、演奏頻度の多いものがいくつかある。
 フランス近代の和声感を持ちながらも,後期ロマン派から現代音楽まで幅広い書法を取り込んだ折衷的な作風を特徴とした。
 1952年に事故のためほぼ聾唖となってからは厭世的になったとされる。

彼の創作の源は地中海であり、「地中海の光、色は私にとって大きな喜びである。心の部分からでない音楽は音楽でない。私はメロディストだ」と語っている。

サクソフォーンの作品も残されているが、とりわけ「管弦楽とサクソフォーンのためのバラード」や「協奏曲」は今もコンテストや様々な場所で演奏される重要なレパートリーである。



2-1)トマジのサクソフォーン協奏曲について

 1949年にサクソフォーンの巨匠であり、トマジと親交のあったマルセル・ミュールもために作られた。初演は19550年3月にパリで行われた。
 2つの楽章から成り立ち、トマジが得意としていた映画音楽を彷彿とさせる。
 第一楽章はANDANTE et ALLEGRO、第二楽章はGIRATIONと副題がつけられている。

2-2)第一楽章について
 本来なら全楽章について分析するところであるが、今回は試験で取り上げる第一楽章について詳しく見ていきたい。(楽譜はピアノリダクション旧版を使用する)
 サクソフォーン、ピアノともに調号はついていないが、無調ではなく調性音楽である。
 あえて調号ではなく臨時記号にすることで調性感を不安定にし、曲全体の雰囲気を出しているのと考える。また、D.ミヨーなどが多用していた多調に影響されていたのではないかとも推測できる。
 全体的に完全4,5度、執拗なまでのオスティナートが特徴的である。

 冒頭はピアノの右手でこの曲の全体を司るモティーフが演奏される。ここでの左手の5度を積み重ねた和音、フィフスインターバルビルドが特徴的である。さらにこの完全5度の上に完全4度を重ねた和音は曲中に何度も現れ、多調のような不思議な空気感を醸し出している。2小節目の左手のテーマを【0】とする。
 1からのサクソフォーンのメロディーを【A】とする。このメロディーはpであるが、重要なモティーフであるため堂々(音量ではなく、ニュアンスとして)と演奏するのが好ましいだろう。
ここのピアノのバスが完全4度で移動していること、そこの重なる和音がフィフスインターバルビルドであること、その後オスティナートとなっていくことに注目したい。またフランス語で表記されていることもサクソフォーン奏者は調べておく必要がある。
 2でサクソフォーンはmfとなり高らかに歌い上げる。ここでピアノは先ほどまでの動きに加え和音が増える。右手はCメジャー7・フラット9を、左手はC♯マイナーを奏でることで多調性を示すと同時に、西洋の響きとは異なったような響きを感じる。ここでは西洋から見た東洋のような、オリエンタルな響きと仮定したい。
 3でピアノにメロディーが移る。この部分を【B】とする。【B】の裏では【A】が奏でられている。和音は1と同じものが使われている。
 5に入ると【0】が少しだけ音を変え登場する。ここでもバスは完全5度で移動している。
 6では左手の和音が5度となっている。右手の風を表すようなフレーズが曲の空気感を軽くする。サクソフォーンはいままでと違うメロディーに感じられるが、冒頭から基本的に3度が核となっていることは変わらない。
 7と8はサクソフォーンによる短いカデンツァであるが、その前のピアノのHを引き継いで演奏することを忘れてはならない。
半音階を挟み、9では【0】と6で出てきたフレーズが現れる。
 10でテンポが上がり、ピアノの問いと答えのようなフレーズが印象的である。また、左手は完全5度、完全8度を執拗なまでに繰り返す。
 11からのサクソフォーンのメロディーは曲の冒頭のテーマから来ているものだと考えられる。
 13のピアノのメロディーは10のフレーズの前半部を拡張したものである。2小節ごとにコードが半音下行している。
 14のピアノ2小節間は13と同じである。様々なコードをサクソフォーンが奏で、15へと突入する。ここも変わらず3度を核にメロディーが展開される。
 半音上行を伴い16へ。ところどころにユニゾンが現れる。サクソフォーンの動きがピアノ受け継がれる。
 17で【B】を拡張したメロディーをピアノが、問いかけに答えるかのようにサクソフォーンが【A】を交互に演奏する。補足ではあるがこの【B】もまたフィフスインターバルビルドである。
 18で初めてピアノが完全音程以外の動きを奏する。
 19で曲は初めてffを迎える。力強いメロディーの中にも今までのフレーズやモティーフが使われていることがわかる。
 20からのサクソフォーンとピアノの右手の繰り返しにより緊張感は一気に増すが、サクソフォーンの半音下降により一度落着きを取り戻す。
 21のピアノの動きは10の断片が4小節の間繰り返される。サクソフォーンは直前に演奏した16分音符のパッセージから12を彷彿させるモティーフを演奏する。5小節目からピアノが【B】を奏でるが、すぐさまpのフレーズに入る。
 23では急激にfの音楽になる。左手で【B】のメロディーを力強く奏で、右手は被さるように10の断片が出てくる。3小節目で【B】もモティーフとしては初めて3連符を伴う。
 24の和音は一見複雑に見えるがCの上にE♭マイナー、Aの上にC、Cの上にE♭など3度の関係にあったり、共通した音があるため違和感を感じることはなく、重厚な響きを感じることが出来る。
 25の半音階進行を挟み、26で13と同じパターンを2小節繰り返す。ここもまたコードが半音下行になっている。3小節目からは10の動きである。これが3セット繰り返され、サクソフォーンの優しいメロディーがそれに色を添える。
 28で急激なfを2小節挟む。ここのメロディーは24を縮小したものだと考えられる。
 29ではバスが完全5度を支配しているが、右手は完全4度を中心に動いている。また、最高音を持つメロディーは27のサクソフォーンと同じ動きをしているが、前半の2小節を繰り返すことでフレーズを明確にする動きとなっている。サクソフォーンは26の3小節目でも出てきた10の断片を繰り返す。
 30で突如、回顧するかのように11を模したメロディーが現れるが、打ち砕くかのように半音階進行(サクソフォーン:上行、ピアノ右手:下行、ピアノ左手:上行)が音楽の流れを支配する。8でも半音階が現れたが、ここではクレッシェンドを伴い音楽のエネルギーを蓄積していく。
 31でその蓄積されたエネルギーは爆発し、サクソフォーンが初めてffを演奏する。ピアノは左手で【B】を、右手で3度で積み重ねられた重厚な和音を奏でる。サクソフォーンは勢いが止まらず、むしろさらにクレッシェンドしていくが32でfに落ち着く。明らかに音の密度、緊張感は20と違うが構成は似ている。
 32からはfではあるが、まだ地底に眠るマグマのごとく緊張感が途切れることがない。
 33でまたffとなり、一楽章最後のエネルギーを使い果たす。2小節のフレーズが音域を変え、3回繰り返される。ここはゼクエンツと見れるだろう。
 34で27を彷彿させるメロディーがかすかに奏でられ、サクソフォーンのカデンツァへ入る。
 サクソフォーンのカデンツァは11などの今までのモティーフを使い、pとfのまるで問いと答えかのようなフレーズが続く。しかしそれは自分自身の中での会話のように感じる。何度も問いかける様子などは、自分の出した答えにさらに疑問を投げかけるようにも取れる。
Vifに入ってからは増1度を行き来し、大きなくくりでの半音上行を伴い頂点を迎えたと思いきや、すぐに半音下行していく。その後2回、Gの音を奏で、A♭で本当の頂点を迎える。最後はカデンツァの頭を変換したメロディーでカデンツァの終わりを迎える。
カデンツァ中はピアノのオスティナートの動きに乗せて演奏するが、あたかも別の世界線にいるように、影響されずに演奏することが好ましい。
 35からはその後43まで持続されるバスのモティーフで始まる。3小節目に出てくるフレーズは曲の頭のメロディーが変換されたものであり、カデンツァの途中(Piu mosso)に現れたメロディーの断片である。また、5小節目のメロディーは【A】の断片である。
 36,37はそれらが繰り返され、37ではサクソフォーンが引き継ぐ。
 38の4小節目で(サクソフォーンで考える)A-durを軸にしたような16分音符のパッセージが2小節のわたり続くが、行きつく先はAマイナー・フラット5・セブンの分散和音である。
 39の2小節目からは半音階を軸にしたパッセージである。行きつく先はCマイナー・メジャー7である。いずれもピアノとユニゾンで終結している。
 40からはだんだんと切迫してくるのが印象的であるが、アゴーギグで表現するのはもちろん、拍子が7/4→6/4→5/4→4/4→3/4となっていることにも注目し、音楽の幅も狭まっていることの感じる必要があるだろう。
ここのピアノもフィフスインターバルビルドでバスが形成され、右手のパートは半音階下行している。
 41でピアノがffの3小節間のメロディーを奏で、曲は盛り上がりを見せる。4小節目でfになるがエネルギーは衰えず、むしろffへと向かって行く。ここで注目したいのは41の3小節間は【B】を少し変換したもであるが、4小節目からは【B】のモティーフを奏でていることである。つまりffの部分はfへの橋渡しであり、fからの方がより力強く音楽は流動している。
再びffを迎えるが、ここがカデンツァが終わってからの1回目の頂点であろう。左手は11のモティーフを拡張したものである。3小節目からは【A】が現れる。
 42からは雰囲気ががらりと変わり、pの音楽となる。左手の動きは35を引き継いだものであり、右手の短いスケールのようなものも35のメロディーの断片であることから、別に世界というよりは35のヴァリエーションと捉えることが出来るだろう。
また、3小節目から現れるサクソフォーンのモティーフも冒頭のメロディーをもじったものと考えられる。
 43からはバスが2/4も中で3を軸に動くため、サクソフォーンとのズレが生じる。これにより拍に不安的な要素ができ、おどろおどろしさを醸し出すとともに音楽のエネルギーが高まっていく。
 45で頭拍が揃うがバスは3度を中心に動き出し、サクソフォーンは半音階で上行し頂点に達するや否や、3度の下行アルペジオを狂ったかのように繰り返す。
 48に入っても勢いは衰えず、サクソフォーンはA♭を中心に何度も叫び、バスは半音下行を4回にわたって繰り返す。右手は31と同じ音形を取る。曲はここで一番の盛り上がりを見せ、一番混沌とした場面となる。サクソフォーンの半音下行を受け、曲は突然の空白を迎える。
 49は新版では2小節のピアノの間奏となるが、旧版では5小節間となっている。新版にない3小節間はバスがフィフスインターバルビルドで和音を構築し、その上を【A】が漂う。右手は短3度→短2度→増2度という流れを3回繰り返す。右手と左手でポイントは少しずれるがゼクエンツとなっている。
4小節目からはバスが完全5度を、その上を5のテーマが、右手が6に出てきた風のようなメロディーを演奏される。これにより混沌とした雰囲気が一気に今までの、オリエントな雰囲気に戻る。
 50からはピアノは今まで通りに演奏し、サクソフォーンは【0】を転回したようなメロディーを奏でる。ここも冒頭と同じくpであるが、冒頭よりも堂々と、また転回されている分の拡大されたエネルギーをの持って演奏するべきである。(あくまでもpの中で)
最後に行くにつれ音量は下がっていくが、エネルギーは持続されるべきだろう。
最後の小節のピアノがCのコードを奏でた後に、BとAマイナーを同時にならすのが印象的である。
2楽章へと繋がる不安定な終わり方であると同時に、ここにも多調性を感じることが出来る。

 以上が一楽章の私なりの分析であるが、やはり全体に執拗なまでの繰り返しが目立つ。
モティーフやテーマはもちろん、何気ないバスの進行パターンや細かな音の並びなどにそれらは見られる。また、場面転換の際に半音階を用いているのも特徴的である。
 この執拗なまでの繰り返しが音楽のエネルギーを蓄積し、緊張と緩和が生まれているのだと考える。
しつこく聴こえるかもしれないが、これゆえに聴衆の興奮を駆り立て、繰り返しだが飽きさせない魅力とも感じられる。
 和音もかなり重厚な重ね方をしているが、それが異空間のような、オリエントな響きを醸し出していると考えると計算された作品であることは言う間でもないだろう。

 

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