ネタ切れなんで、昨日、仕事のインターバルの間に阪堺電車(チン電)乗って、堺東の「宿院」に行って来た。大阪の歴史跡をご紹介しようと思い、ブラブラとね!(笑) 北天下茶屋から乗車しました。
最近、めっきり皆さんブログに訪問できなくなり、すいません。ちょっと疲れがたまりやすくなっていて、早く寝るようにしてます。
運動不足で体がなまってるんでしょうね。すきな野球も辞めてから、運動を全くする事が無くなってから肩こりや、疲労感が多くなりました。
やはり何かしないといけませんね。(笑) 今日は、恐らく猛吹雪にあいに行ってる事でしょう。(笑)
天王寺方面の風景です。
少しロー気味に!
長くお付き合いしてくれてる皆さんは、此処を何度か見た覚えがあると思います。そうです!西成歴史街道シリーズの時、此処を紹介しましたね!NHKの大河ドラマのロケ場所になったとこですよ。
北天下茶屋駅です。
あびこ道行きに乗りました。これに乗ると、あびこ道で乗り換えになります。
大阪のチン電は走る広告塔です。
あびこ道で下車。その場所で次に来た、浜寺公園行きに乗り換えです。
後方からの一枚。これに乗りました。
宿院で下車。徒歩3分くらいの場所に、ありました。
大きいものなのかなぁ?と思っていたら、わりとこじんまりした敷地でした。
これ、ご存知ですか?歴史好きには、興味があるのでは?(笑)
堺市が設置したガイドですね。
上記の写真の内容が記されています。
これが千利休です。
堺市の観光ガイドより
千利休は大永2年(1522年)、堺今市町(現在の宿院西1丁)の豪商魚屋(ととや)の長男・与四郎として生まれました。17歳の時北向道陳に茶湯を学び、のちに武野紹鷗に師事しわび茶を大成させました。茶の湯をもって信長に接近し、その死後は秀吉の茶頭として仕えながら、北野の大茶会を取り仕切るなど天下一の茶匠として権勢を振るいましたが、小田原の役後秀吉の怒りにふれ自刃しました。現在の茶道千家の始祖であり「茶聖」と称せられています。
屋敷跡には椿の井戸が残っていますが、椿の炭を底に沈めていたといいます。井戸屋形は利休ゆかりの大徳寺山門の古い部材を用いて建てたものです。
こんな風に書いてありました。たまには、こんな歴史をお伝えしようと思います。
今日も訪問有難うございます。
*今日は、きっと早朝から雪山に登山に行ってると思います。
*このブログ「情熱親父の心晴天Part2」の写真・文章・記事全ての無断転載・コピーは、一切、固く禁じます。ブログのサブタイトルにもありますように著作権は管理人にすべてあります。御理解、ご了承くださいませ。
にほんブログ村 元気の源。ランキングに参加してます。応援ポチ3つ押して頂けますと更新の励みになります。宜しくお願い致します。
にほんブログ村
人気ブログランキングへ