民意の怪についての続編です。もちろん私はいわゆる「振り子の論理」なるものは承知しています。しかし福田氏では改革の期待が持てるでしょうか? 国民の誰もがそれは期待していないでしょう。
「改革」というものは、実は生易しいものではないはずです。麻生氏も言葉だけが先行しているような気がします。「最近、キャラが立ちすぎて・・・」などと若者言葉を多用して聴衆の歓心を惹こうとする姿勢にも・・・・・って気になりますね。
さて「民意の怪」の本質を衝きたいと思います。それは福田氏に民意が流れる中、実は小泉氏再登板待望論が存在したことです。
まったく主張も政治姿勢も異なる二人に民意は期待しました。それは9派閥のうち、実に8派閥が福田氏を支持した現象とも一致します。小泉・安倍・福田各氏の主張や政治信条が同様ならば構いません。しかしこれほど異なる人に一気になだれ込んでいく現状を見れば、首をひねりたくもなります。
小選挙区制になって総理の権限や官邸の力が強くなったとか言われていますが、自民党国会議員には政治信条はないのでしょうか。
こうして見ていくと、やはり自分の選挙の当落ばかりを気にしての行動と断ぜざるを得なくなります。小泉氏の出馬に奔走したチルドレンたちも諦めて福田支持に大方が固まりました。
そして報道陣にマイクを向けられると福田氏支持の論理を臆面もなく語っています。それを見ているとどうしようもない絶望感に襲われます。
国会議員がこれですから、民意にも危険性にも似たものを感じてしまいます。かつてヒトラーが台頭したとき、同じような状況がありました。
ヒトラーはこの民意の移ろいやすさを巧みに捉え、全体主義へと誘導していきました。時代背景も似てきています。国民生活は疲弊し、同時に第一次大戦で他国に割譲した国土を取り戻し、併せて国民の誇りを取り戻すと宣言したヒトラーは熱狂的な支持を受けました。
年金不信・政治と金の問題・一向に進展しない拉致問題、そして何より向上しない国民生活。これらが複合的に重なり、民意が極端に振れだせば、非常に危険な方向に進む可能性があります。
ヒトラーのような狂信的な野心を持った政治家が出現しないように祈るばかりです。しかし前述のような国会議員ばかりでは、しばらくは心配ないのでしょうが・・・・。