大久野島 後編 2023.5.1撮影
前編では大久野島の🐇うさぎをメインにしましたが、後編では瀬戸内の
風景散歩撮りと大久野島の史跡と歴史について~😉
キャンプ場ですね😉
大久野島 毒ガス資料館
かつて大久野島には、日本陸軍の毒ガス工場があって「地図から消された島」
として、国民には秘密にされていました。
・東京第二陸軍造兵廠忠海製造所は、日本陸軍の毒ガス工場として、昭和4年
に大久野島に設置され、昭和20年終戦後米軍により破壊されました。
この工場は、各種の毒ガスや信号筒風船爆弾が製造されましたが、イペリット
の生産に重点がおかれていました。
・毒ガスの種類 イペリット、ルイサイト、ヂ・フェニールシアンアルシン、
青酸、塩化アセト・フェノン。
・毒ガス製造工員の体は防毒マスク、衣服、手袋、長靴等で完全に覆われていても、イペリットガスは、その隙間から浸透し、皮膚、目、咽等を冒して結膜炎、助膜炎、肺炎、気管支炎等を引き起こしたが有効な治療法はなく皮膚炎に対する普通の治療法で過マンガン酸カリと酢で毒を中和し更に、火傷と同様に扱っていた。当時イペリット製造部門では被害者が多く出たため、その被害のあった工員は催涙ガス製造部門へ移されたがここでも、製造工程全般にわたり塩酸ガスにより目をやられる事が多く、工員待機所に洗眼用具を備えてはいたが、この作業員以外の人の手を借りなくては洗眼をすることはできなかった。これらは悲劇の始まりであった。(パンフレットより)
右端にあるのが、きい剤の容器~
撮影禁止だったので館内2枚だけ~島の🐇兎の説明だけしたかったので・・・
島の🐇兎について尋ねてみますと、うさぎはアナウサギで外来種~元々は、
毒ガスの実験用に外から持ち込んだもので、一部が野生化したのか?
しかし米軍の工場破壊処理のときの大量薬剤散布で生き残りは不可能では?
という説と、地元の小学校で飼っていたウサギが放され野生化した?との説。
2説とも確かではないそうですが、どちらにしても大久野島の🐇うさぎ🐇
ではなく外来種が野生化したようですね😉
こちら休暇村保養地で昼食にしました😁 レンタル自転車もありますね。
タコ天丼定食を食べました😋 食後はしっかり山を歩きますよ!
手前の大きな木~😏
モミジバフウ(アメリカフウ)でしょう~紅葉はキレイでしょうね😄
三軒家毒ガス貯蔵庫跡
展望台の方へ~登って行きます😏
展望台です~😇
中部砲台跡
北部毒ガスタンク台座跡
北部砲台跡
発電場跡
ここまで史跡はまだまだありますが、大まかに島を散歩散策してみました😏
大久野島~今は🐇うさぎの人気スポットになっていますが、毒ガス製造の
悲惨な歴史のある島でした。今日は憲法記念日!
あっ!そうか~岸田総理~広島出身でしたね。
憲法9条!これからも平和憲法を維持して行きましょう!
大久野島ともお別れです~😉
呉線~山陽本線で岡山に帰って行きました😏
ゴールデンウィーク楽しい連休にして下さいね!
今回は広島県の大久野島を題材にして、ブログを作ってみました!(^^)!
見て下さった方ありがとうございました!それでは~😊