惣爪塔跡 2023.3.12撮影
今回は、岡山市北区惣爪、足守川の東岸近くの田んぼの畔にある奈良時代の
史跡、惣爪塔跡と南へ約200mの場所にある明治天皇御野立所と足守川沿いの
風景を撮ってみました😇
道の奥、左側に惣爪塔跡(そうづめとうあと)礎石が見えています。
手前左に止めているのは私の愛車~🚲です😏
左の穴のある石が、昭和3年に国の指定史跡になっている惣爪塔礎石です。
古来「石の釜」と呼ばれている、塔の中心柱の礎石(心礎)である。
礎石には、長径2m、短径1.5mで、上部に直径70cm、深さ17cmの円柱穴を掘り、さらに、その底に径16cmの小孔を開けている。
奈良時代前期、この礎石の上に建っていた塔のほか、金堂・講堂などの建物がならび、一大伽藍が営まれていたことが想定される。
塔以外の建物の礎石や基壇の痕跡は、周囲の水田の地下げのため、現在は確認することが出来ない。この寺は「津の臣」の氏寺であったともいわれている。なお、付近一帯は弥生時代の集落跡でもあり、水田の下から貝層や土器その他の遺物が発見されている。(旧説明板より)
惣爪塔礎石の右にあるこの石碑は、首相犬養毅(木堂)先生が地元の土肥さんという人物を、称えた顕彰碑ですね。
次はここから200mほど南にある明治天皇惣爪御野立所へ~
右手の草むらを覗いてみると春が~😏
オオイヌノフグリですか~😏
テントウムシも活動!~😁
ホトケノザですね~😀
明治天皇惣爪御野立所(そうづめおのだちしょ)
全国にあった明治天皇聖蹟は戦後1948年、占領軍GHQ民間情報教育局(CIE)の指示に基づいて史跡の指定を一斉に解除されたようですね。
こちらも現在は惣爪遊園地で公園とされていますね。
この小高い丘の上で明治43年、当地で行われた陸軍大演習を明治天皇が統監された場所ですね。
龍蹤(りゅうしょう)表彰之碑
陸軍大将・参謀総長の奥保鞏(やすたか)が明治天皇を称えて建てた石碑。
歴史を遡れば、江戸時代260年鎖国で日本は朝鮮も中国も必要なかった・・・
1853年ペリー提督率いるアメリカ黒船艦隊が浦賀に来航~
日本に開国を要求してから時代は~帝国主義も富国強兵も植民地支配も、
元々は欧米列強白人のやり方でしょう。
丘の上から北西の方向~左に足守川、右に惣爪塔跡が見えています😉
丘の上から東~吉備津神社の方向ですね😉
それでは明治天皇惣爪御野立所(惣爪遊園地)を後にします~
足守川沿いを南に少し散策します😀
ツルニチニチソウですね😉
足守川
足守川東岸から東の風景~吉備津神社の方向
ここまで今回は奈良時代の古い史跡、惣爪塔跡を紹介しました😉
見て下さった方ありがとうございました!それでは~😊