例えば、
今日が素敵だったら、
明日のぼくは笑っていられるのかなー?
そうしたら、明日のきみは、ぼくのことを好いてくれるのかなー?
そうしたら今日をがんばれるのに。
例えば、
昨日が素敵だったら、
今日も素敵で、
明日も素敵なのかなー?
例えば、
昨日がどん底でも、
今日がどん底でも、
明日が素敵だと本を読むようにわかったら、
どん底の今日を頑張れるのかなー?
昨日がどん底で、
明日も希望溢れる自分をイメージする事なんてできない今日を、
ぼくはどうやって、
がんばればいいのかなー?
例えば、
明日、
ぼくが死ぬと判っていたら、
今日はばら色の今日なんだろうか、
それとも絶望色の今日なんだろうか?
そんなことばかりを、
カーテンを閉め切った、
昼間の薄暗い自分の部屋で、
布団に包まりながら、
ぼくは、
思っている。
そうしてそんなぼくの前に、
そいつは、
現れたんだ。
「どうですか? この臨死体験を味わえるキャンディーは?」
それがぼくがぼくの知らないぼくを知る切欠で、
そうしてぼくがその他大勢の世界の人間が知らない、
一部の人間だけが知っている世界の真の一部を知る切欠となった、
始まりの終わりの終わりだった。
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