珈琲ひらり

熱い珈琲、もしくは冷珈なんかを飲む片手間に読めるようなそんな文章をお楽しみください。

『ラグエルの嗚咽』

2006年04月24日 | 短編

『ラグエルの嗚咽』



 犬歯と呼ぶには鋭すぎる牙を剥き出しにして彼女があげた咆哮に冷たい夜気がすくみあがった。
 非常灯の薄暗い緑の光だけが光源の病院の廊下にたゆたう無機質な空気を満たしていくのは『ラグエル』という断罪の天使の名を持つ私の回転式装飾拳銃が吐き出した弾丸が彼女の体に穿った銃創から迸る腐った血の香りと、硝煙の香り。
 銃口から牙を剥くように立ち上る硝煙の向こうに私は哀れな母親を見る。
「邪魔を、邪魔をしないでぇッ」
 それへの答えはトリガー。
 吐き出された弾丸は床のタイルを人外の力で蹴って、私に草食動物に襲い掛かる肉食獣のように肉薄せんとした彼女の脇腹を無慈悲に穿った。
 腐った血の香りはこの狭い廊下ではもはや飽和状態だ。
 床の上に転がった彼女を中心に腐った血がどろりとした水溜りを広げていく。
 私は、両手をついて立ち上がろうとして、しかしがっくしとその場に崩れこんで、血と埃で固まった前髪の奥から血のように赤い目でこちらを上目遣いに見る彼女を見据えながら、彼女の額に銃口を静かに照準した。
「お、お願い、邪魔をしないで。シスター・アリア」
「それはダメね。私は神の名の下にあなたを殺すわ。灰は灰に。塵は塵に」
「あ、あの子には私が必要なの。私がいないとダメなの。まだ、7歳なの。だから・・・」
 哀れな母親は血のように赤い瞳から血の涙を流しながら、私の後ろにある病室の扉を見つめて懇願した。そこに彼女の娘がいるのだ。
 彼女は7歳になったばかりの幼い娘と二人暮しだった。しかしそれでも母娘協力して一生懸命に生きていたのだ。
 だが、彼女は病院の帰りに仕事の疲れで注意力散漫になっていたのと、吹雪のために視界が悪くなっていたのとで、運悪く道を横断中にスリップして突っ込んできた車に轢かれてしまった。そして死にたくないと泣いていた彼女を助けたのが、このローゼンタウンの影の支配者であるヨハン・アナベルト伯爵の部下であるサラス・リバティーであった。サラスが死にかけの彼女をヴァンパイアにしたのだ。善意というな名の悪意で。
「あなたのような母親を知ってるわ。幼い娘を残していく事を哀しむばかりに闇と契約して、だけどその母親は結局は闇の者になりきれずに、娘を殺して自分も死のうとした。そしてあなたもそうなのでしょう? 娘を殺すためにここへ来たのでしょう。だから私はここから先へあなたを行かせるわけにはいかない。だって彼女はまだ生きているのだから」
 私のその言葉に哀れな彼女は泣き出した。
「うぅうぅうぅぅうぅぅうぅ」
 下唇を噛み締めて彼女は押し殺した声で泣く。
 血と硝煙の香りを多分に含んだ空気を揺らすのは心の奥底からあげられる哀しい響きに塗れた娘を想う母の愛と悲しみ。
「心配しなくっていい。あなたの娘は聖マーチェンシン教会が責任を持って面倒を見るわ。だからもうあなたは安心して眠りなさい」
 私の言葉に彼女は上半身を起こして、包み紙の中で枯れてしまった花束のような泣き笑いの表情を浮かべて・・・
 ・・・その彼女の目が大きく見開かれた。
 何かとても信じられぬ物を見たように。
 そして彼女の唇が動いて・・・
 ・・・そして彼女の首が宙を舞って。
「・・・」
 どさりと転がって重く無機質な音を奏でたのは首の無い母親の体で、その肉塊を足下に転がし、手についた血を両目を細めてさも美味しそうに舐めているのは・・・娘であった。
 私は尼僧服のスカートを翻らせて後ろを振り返り、銃口をそこに立つ影に照準した。そして躊躇わずにトリガー。
 死神の死刑宣告かのような轟音と共に飛来した弾丸はしかし、その瞬間に影の周りに出現した5つの球体が発する高磁場によるエネルギー障壁によって弾き返される。
 そしてその影は床まで垂れる髪を弄いながら、まるで昨日の天気の話でもするかのように言った。
「そう、怒るなよ、シスター・アリア。私は哀れな母娘がいつまでも一緒にいられるようにと、娘もヴァンパイアにしてやっただけなんだから。そう、これは善意だろう」
「善意? ふざけないで。それは善意ではない。悪意よ、サラス」
「うふふ。本当にあなたは面白い。とてもクールな女かと思えばそうやってすぐに熱くなって。教会の殺し屋のくせに情も深くって。だからこそその我らを唯一人間が倒せる武器である『ラグエル』という名の回転式装飾拳銃を持つには力不足なのではなくって?」
「っるっさい」
 私は連続でトリガーを引いた。しかしそのどれもが無敵の防御の前に弾き返される。
 前髪の奥で細めた私の目と血が滲むほど噛み締めた下唇に彼女は笑った。
「シスター・アリア。あなたの敵は私ではないでしょう?」
 小首を傾げた彼女はさらりと揺れて顔にかかった前髪の奥で蛍光に光る両目を嗜虐的に細めた。
 その言葉の意味を察するよりも早く私の体は肉薄する者の敵意と殺気、悪意、そして純粋な食欲に反応して、防御の姿勢を取った。両手を体の前でクロスさせてガード。しかしそこに叩きつけられた衝撃に私は廊下側の窓ガラスを突き破って、白い雪がしんしんと降る夜中の世界に放り出された。
 白い雪の上に出来上がった赤い染みを見つめながら、私は立ち上がる。それとほぼ同時にガラスが砕け散って、枠だけとなった窓から、彼女が飛び出してくる。目を爛々と赤く輝かせて。
 私は彼女に銃口を照準して・・・
「くぅ」
 喉の奥で迸ったようなくぐもった声は襲いかかってきた彼女にしかしトリガーを引けなかった私の物だ。
 雪のように純白の尼僧服を傷口から迸る赤い血が染め抜いていく。それを視界の端に映しながら、ああ、これもまあ、いいか・・・などと思ってしまった私が見たのは、しかし私の肩に噛み付く彼女のとても嬉しそうな笑みだった。
そしてそれを見た私は小さく口だけで笑う。

             救いはいらない
         私は救われるべき者ではないから
             贖罪もいらない
          欲しいのは心が壊れそうな罰だけ
            ああ、だから私は背負う
              この悲しみ
                と
              新たな罪を

 私は、私の右肩に噛み付く彼女の後頭部を左手で鷲掴んで、引き剥がした。体に激痛が走るが構わずに、彼女を放り捨てる。
 彼女はまるで猫のように軽やかに空中でひらりと回転すると、四つん這いで着地した。
 しんしんと降る雪の中で私は彼女を見つめる。
「その子は母親よりも優秀よ。あの女は人間などは人であった時に散々食い散らかしてきた家畜と同じだと教えてやっても人としての理性が抜け切らずに、苦しんでいたが、その子は簡単にヴァンパイアの本能を受け入れた。あの病院にはもはや生きている人間は誰もいないのよ」
 胸糞悪いクズ女などの声はもはや意識がシャットアウトしていた。
 私はただ彼女だけを見つめている。とても嬉しそうに夜の闇を陵辱するような白を染める赤を迸らせる私の傷を眺めている彼女を。
「かわいそうに。迷子になってしまったんだね、あなたは。お母さんと」
 ぴくっと彼女が反応した。
「寂しいでしょう。哀しいでしょう。お母さんとはぐれて」
 彼女の口の周りを染める赤が、赤い眼から零れる涙と混じりあって、顎から滴り落ちていく。たとえヴァンパイアの吸血本能に心を犯されようと、それでも彼女の心はやはり彼女の物なのだ。
「今、私がお母さんの所へ連れて行ってあげるからね」
 私がそう言った瞬間、彼女は涙に濡れた顔にまるで花が咲いたような笑みを浮かべて・・・
 ・・・そして私はトリガー。
 夜のしじまを打ち壊した銃声はとても無機質で、悲しみに満ち溢れていた。
「あ~ぁ、殺しちゃった。ひどい事をするな、あなたは。この私がせっかく余命幾ばくも無い娘に溢れん命を与えてやったというのに。それでも本当に愛を説くシスターなのかい?」
 まだ銃声の余韻がたゆたうその闇に私は、継いで音色を奏でた。銃口を照準する音色。
「で、どうするつもりなの? 善意という名の悪意でたった今、哀れな幼い少女を撃ち殺したシスターとは名ばかりの教会の薄汚れた殺し屋さん」
「あなたを殺すわ」
「それができて、あなたに」
「できる、できないは問題じゃない。やらなきゃならないのよ。それが・・・」
 ・・・それがこの手で13年前に闇に染まりきれずにそしてまた私を殺すこともできなかった母親を救えなかった私の懺悔という名のエゴと業だから。
 そして私は唇の片端を酷薄に吊り上げて、トリガーを引いた。
「はん、だから無駄だと言って・・・」
 最初は勝ち誇った響きに塗れていた彼女の声が途中で、狼狽に塗れ、掠れて、消えた。
 そして私は一番最初に撃ち壊した宝珠が落ちる前に、複雑な動きでサラスの周りを飛びまわる他の4つの宝珠もすべて撃ち壊した。そう、絶対無敵の防御を誇っていたはずの5つの宝珠を。
「どうしてぇ? なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、なぜ、どうしてぇ? 私の絶対防御を作り出すこの5つの宝珠は無敵のはず」
「だからこの世には絶対は無いということよ」
 そう、常にサラスの周りを衛星のように飛んでいた5つの珠玉は互いに高磁場を発生させて、絶対的な防御壁を作り出していた。だったら・・・
「宝珠を壊せばいいと言うのぉ? ふざけないでぇ。宝珠の動きは高速で、ランダムで、撃ち壊すことなど無理よぉ!」
「それが違うのよ。ランダムのようでいて、規則性があったのよ。だから私にも撃ち壊せた。あなたの敗因はその宝珠の弱点を見抜けなかった事じゃない。玩具を見せびらかして、させたとどめをささずに相手をいつまでも弄るから、こうなる」
 勝ち誇った響きを持つ声で皮肉げに言ってやる。そうすれば怒りに我を忘れた彼女は、腰に下げていたレイピアを抜き払って、私に肉薄する。
「この人間がァッ、調子に乗りやがってぇーーーー」
 しかし、もともとが私の敵ではなく、ましてや怒りで我を忘れ、人知を超える身体能力を持つとはいえ、真っすぐに突っ込んでくるなどという愚考を晒した彼女など・・・
 奏でられた銃声はそれでもやはり無機質なメロディーの中に誰かの嗚咽かのような哀しい音色を響かせた。
 銃口から硝煙を立ち上らせる拳銃を構えたまま、私は夜空を見上げた。
 真っ白な雪を降らす夜空を・・・。
 断罪の天使の名を頂く回転式装飾拳銃を持つ私の戦いと、守りきれなかった物への懺悔はこれからも続くのだろう。
 そう、だから私はまだこの雪の白に塗り潰されるのを今は望まない。


 →closed


 某所の試験に出した小説だったりします。(笑い


 本当に毎日ここをチェックしてくださる皆様、ごめんなさい。
 5月10日が今度出そうと思っている投稿の期日なので、その辺からまた童話物語をやっていきたいと思いますので、またよろしくお願いいたします。
 こちらの方、本当に満足できずにすみません。
 両ブログ、ありがたくも見てくださっている皆様に本当に感謝しております。