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「平凡な私」は「理想の大人」になり損ねたのか?

2004-12-02 00:34:38 | その他ハロプロメンバー
これは本人がテレビで語っていたので、恐らく本当だと思うのですが、「ナイトライン」のアンカーマン、
テッド・コッペルは、今年のスーパーボウルを家で見ていました。しかし、ハーフタイムのとき、ついウトウトとしてしまい、
ハーフタイムショーの一番最後、今年アメリカテレビ界で一大議論を巻き起こした、あの事件を見ることができませんでした。

この話の真偽はわかりませんが、多くのブログで語られている今回の盗作については、自分はこの話でいうところの
テッド・コッペルです。ウトウトしている間に何か起こっていた、という感じなのです。ただでさえ上にある画像が
最強コンビだったりするので、あまり語るだけの技量もないかと思いますが、これだけは言いたいということを書いておきます。

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1997年11月30日、日曜日。既にドラゴンズの本拠地としての用を終えたナゴヤ球場の内野スタンドに立つ、
室蘭出身の少女を含む女の子5人、いや、正確には女の子4人と女性1人。テレビ番組の指令「50000枚のCDを売れ」の下、
このナゴヤ球場で指令を達成したその日です。これこそが、後に「国民的アイドルグループ」と呼ばれるグループの始まり、
そして激しい入れ替えがありながらも総計60人近い女の子が所属することになる「プロジェクト」の本格的始動となります。

翌年1月30日にこのアイドルグループはメジャーデビュー。このときから既に、背は決して高くない、
室蘭出身の「彼女」の人気は、頭ひとつリードしていたのは明らかです。それからは、このグループの酸いも甘いを経験し、
自身についても、恐らく慣れない多忙さやストレスから来る激やせとそこからのリバウンドに見舞われたりしながらも、
やはりこの「プロジェクト」の中ではエースの1人であり続けました。

2003年7月27日に、彼女はアイドルグループからの卒業を発表。翌年1月25日、惜しまれつつ卒業。

22歳の彼女はこの先、ソロアーティストとして旅立っていく・・・・つもりでしたが、その矢先、
卒業後すぐに発売するはずだった、卒業記念で作成されたDVDの発売延期。製作者が女の子に手を出したということで逮捕。
4月からは初の主演ドラマ、にもかかわらず視聴率は低迷する上、一部報道では、実は違う女の子を
主演にするつもりだったと言われる始末。

こう考えると、もしかしたら、2004年というのはあまり運がいい年じゃないから、早く過ぎ去ってもらって、
2005年になってほしいと思っていたかもしれません。その矢先、彼女が書いてきた詩の中に、盗作があるという指摘があった、
いや、指摘があったというよりは噂が広まり出しました。恐らく、多くの一般の人たちは、彼女が詩を発表していたこと自体、
知らなかったとも思われますが。それはともかく、彼女は盗作したというを認めることとなりました。
奇しくもナゴヤ球場に立った日からピッタリ7年後。1997年11月30日に、いや数ヶ月前ですら、
こういうことになると予想できた人はいないでしょう。

自分自身は、ほぼ一般人の目線でこの件を知った上、第三者に内部事項がわかるわけでもないので、
彼女が悪いのか、それとも事務所も悪いのかどうかはわからないので、その点は当事者がじっくりと議論してくださいとしか、
言いようがないです。ただし、どのような結果になっても、彼女が盗作した事実は残るわけなので、
23歳の彼女にもある程度の責任を取ってもらうのは仕方ないです。そこで、そんな彼女にどうしても言いたいことがあります。

安倍なつみさんには、「安倍なつみ」で、いや「なっち」でいてほしいです!!
そう、普段着でいいじゃん!

これがいちばん難しいことではあるのですが・・・

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