そして、今年のオペラ「青ひげ公の城」。
バレエも面白かったけれど、私にとってはこっちは更にブラボーでした。
「ヴォツェック」以来、おぉ!と思えた舞台。
テーマがバレエ「中国の・・」よりも、自分に引き寄せて考えられるものだったからかもしれません。
「青ひげ」は世界文学全集のような本に収められて学校の図書館にあり、
読んだようなな気もしますが、
オペラではどんな風に脚色されているのか知らずに、この日の鑑賞に臨みました。
新妻・ユディートが何を思って不審、怪しいと噂される青ひげ公と結婚したのか。そして城に来たのか。
観ているうちに2つの仮説が浮かびました。
仮説1:(ソプラノ歌手の エレーナ・ツィトコーワさんの声に母性的な温かみを感じて)
孤独な青ひげの心を救うことが出来るのは私だけ。
愛の力で彼を幸せにしてみせる。
でも、夫との生活を始める前に、やはり真実は知っておきたい。
仮説2:断れずに結婚はしたけれど、ただただ怖い。怖いから調べずにはいられない。
妻は夫に、城の中の部屋の鍵を開けて私に見せてと迫ります。
あなたのことは何でも知りたいの、と。
願いに応えて部屋を1つずつ開け、中を見せる青ひげ。
「武器」(力)の部屋、「財宝」(財力)の部屋、
「土地」(所有する広大な土地が見渡せる部屋)(地位)・・。
これらはすべておまえのものだ、さぁ、私のことをわかっただろう。
もう良いだろう。自分は精一杯おまえに見せたのだ。
部屋を開けることを打ち切りにしたい夫。
最初は鎧のような分厚いガウンに身を包んでいた青ひげは
途中でガウンを脱ぎ、若者のような白く軽い出で立ちになり、
表情も明るく振る舞います。
でも、まだ開いていない部屋があるわ。もっと見せて、と執拗に迫る妻に、
表情険しく再びガウンに身を包み、固く帯を結ぶ青ひげ。
とうとう最後に残った部屋の鍵を開けると、
そこには前妻たちが朝、昼、夜のそれぞれを司るシンボルのようにして居ました。
おののく新妻。
青ひげはユディートに深夜を司るように命じ、冷徹に、
彼女に漆黒のガウンを着させて、前妻たちの部屋へ一緒に閉じ込めてしまいます。
・・という筋だったと思います。
エディットの心情は仮説2で良かったのかな?
青ひげ公がガウンを脱いで白い、ローマ時代の若者のような衣装になったときは、
何故そうしたのかわかりませんでした。
でも再びガウンを着た時に、ハッと思いました。
一度は開いた心の扉を、青ひげは絶望からまた閉じてしまったのではないかしらと。
あぁ、君もか、ユディート。君も僕を本当には信じてくれないのか、愛してくれないのかと。
彼のことをすべて知りたい、独占したい女性。
彼女のことは愛しているけれど、自分だけの心の部屋は大切に守りたい男性。
そこを守りきれなかった男性が、公開しておきながら、相手の反応に傷ついて、
君なんかもう嫌いだ!と心の中で葬り去る。
そんな男女の性(さが)の違いを描いているのかなと。
さて、自分だけの心の部屋は、例えばどんな部屋なのか。
例えが卑小で我ながら情けないけれど、
例えば、過去に愛した女性をずっと忘れられず、
心のどこかに偶像化して大切にしまっておきたい男性の心の部屋、とかね。
もちろん、自分だけの部屋は男女問わず、他にもたくさんあって、
いくら愛しい人、親しい人にでも、踏み込んで欲しくない領域があり、
古今東西、老若男女、そこを超えると諍いが起きるという。
違うかしら。
チケット発売日の前夜、
小澤幹雄さんが「やわらかクラシック」と題して講演をしてくださった際、
他の方々が演じた「青ひげ公の城」のDVDを少し見せてくれました。
それを観たときは、これは正直、退屈してしまいそうだなぁと思ったものでしたが、
いやいや、やっぱり生の舞台は訴えてくるものが違いますね。
今回は登場人物の内面をダンサーが演じるという演出がされていたようですが、
それがなくても、
ソリストの歌唱、仕草、照明などで伝わってきたように思いました。
小澤征爾さんが指揮をされたら、また違う感想を持ったでしょうか。