メイキング・オブ・マイマイ新子

映画「マイマイ新子と千年の魔法」の監督・片渕須直が語る作品の裏側。

登場しなかった「千年前の少年」

2009年12月28日 08時59分56秒 | mai-mai-making
 清少納言・諾子の父である清原元輔は平安時代の中級官人です。
 その13歳年下に、陰陽師として有名な安倍晴明がいます。

 中級官人の家系に生まれた清原元輔が、長年にわたり歌人として貴族たちの宴の席を盛り上げたことを認められて、年老いてようやく周防守の地位を得たように、元輔よりもやや格下の家から出た安倍晴明は、陰陽道をよくすることで貴族に覚えられ、かなりの年齢になってからようやく位階を上ることができています。晴明を重用しはじめたのは、のちに築地塀の上になでしこの種を捲く花山天皇です。
 清原元輔も安倍晴明も学芸の道で出世しましたが、その出世はあまりにも遅く、70代になってからやっと従五位、正五位に上がるという感じでした。この位は、平安京では牛車を乗り回すことが公式には認められない下位のものでしかありません。

 千年前の場面に、まだ無名時代の安倍晴明(それでも50歳代になっています)を登場させられないかと考えたことがあります。
 天神様となった菅原道真の霊の機嫌が悪くなり、陰陽道で治めにやって来て、そこで諾子と近づきになっていたことにしよう、などと。

 清少納言が書いた『枕草子』の中では、陰陽師に仕えて「小わらべ」として働き、かつ修行する少年に対して親和的な目がたびたび注がれています。
 実は『アリーテ姫』でも、旅の途中に「塔を訪ねてこなかった3番目の騎士」である年若い少年と出会って、それぞれが抱く将来への希望を交換する場面を考えていたことがあります。
『マイマイ新子と千年の魔法』でも、諾子を安倍晴明に仕える少年と出会わせようなどとぼんやりと考えていたわけだったのでした。

 映画の終わりの方で、諾子は病人の家で「鬼やらい」を行います。
 この時代、「医療」などというものはなく、病に対しては陰陽道による祈祷がもっとも効果あるものと考えられていました。病気は鬼が原因なのであり、騒々しくお払いをして鬼を追い払うことこそ、最高の医療行為だったのです。
 諾子がそういうところに行き着く前の段階として、陰陽師の小わらべとの出会いを想定していました。諾子は彼から呪文のひとつも習っていたのかもしれません。
 ですが、新子と貴伊子の物語が深まるに連れ、千年前も女の子同士の世界とするほうがよいように思われてきて、省きました。
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