革命委員会設立の号令が下ったとき、京生の所属する造反団は四分五裂の状態にあった。
革命委員会により、あるグループは力で潰された。
京生らの中学生紅衛兵グループは、自主的に解散した。
混乱時、上手く立ち回ったものが、権力を握った。
京生は荒れ果てた中学校に戻る。
学校には軍教官、党幹部、造反派教師代表により、革命委員会が設立されていた。
校内に秩序は戻ったが、教師らは何をどう教えて良いかわからず、右往左往していた。
相変わらずの政治集会、学習会は開かれるが、教師生徒とも、文革当初の熱意はなくなっていた。
京生は、この嵐のような2年間を振り返った。
“どこに進むべきかわからない、原点に戻ろう。”
数人の仲間と“社会主義勉強会”を始めた。
図書室に残っていたマルクス・レーニンの著作、バクーニンの思想、パリ・コミューンの歴史などを読み始める。
頭の中のもやもやが、整理され始めた頃、革命委の教師に呼ばれる。
「君は外国の社会主義思想を勉強しているそうだね。」
「はい、この革命を正しく進める手助けになるかと考えました。」
「毛沢東思想こそ唯一、無二、絶対のものだ。外国の思想など役に立たない。」
「君には“思想改造”が必要なようだね。」
革命を継続したい一部の紅衛兵達は、革命委員会の統制をはみ出し、暴走を始める。
1万人の紅衛兵が、毛沢東を批判されたことに腹を立て、北京のイギリス代理大使事務所を焼き討ちにする事件が起こった。
参考図:「中国文化大革命の大宣伝」、草森紳一、芸術新聞社、2009
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