やせ細った航空隊は土浦に戻り、本土決戦に備えた。
そして8月15日、よく晴れた正午、玉音放送があり、日本は降伏した。
兵藤はこの日が来ることを予想していたが、やはりショックだった。
“多くの仲間は何のために死んでいったんだ?”
“そして、俺は何のために片腕を失ったんだ?”
航空隊は解散となり、皆、蜘蛛の子を散らすように去っていった。
“国の都合で命を要求し、必要なくなったら、裸でおっぽり出すのか!”
毛布と若干の食料品をリュックに詰め、実家のある横浜に向かう。
東京は一面の焼け野原で、東京駅から富士山がよく見えた。
“横浜もやられたかな?”
電車が動かないので、歩くことにした。
市街地は瓦礫の山だが、人々は少しずつ戻ってきている。
そこここにトタンで囲ったバラックが立ち並んでいる。
人々の顔には安堵感と不安感が見られる。
川崎の工業地帯は、巨人のハンマーで叩きつぶされたように、ペシャンコになっていた。
夜になった。
灯火はポツリ、ポツリとついているだけの暗闇の世界だ。
鶴見のお寺の境内にもぐりこむ。
兵藤の隣に、50台の頭のはげかかった男が腰を下ろした。
「兄さんはどこに居たんだい?」
「土浦の航空隊さ。」
男は国民兵として召集され、空襲の後片付けをしていた、とのことだった。
「こんな爺さんを兵隊にとるようじゃあ、負けるにきまっとるわ。」
「横浜の様子はどうですかね。」
「5月末の大空襲で、ひどくやられたようだよ。」
参考図;「戦後混乱期の目撃者」、菅野長吉、朝日ソノラマ、1981
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