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第3話(1)

 ロシア遠征(1)

 1810年には、ナポレオン帝国はヨーロッパの大部分を支配下に置いていた。
スペイン、イタリア、ドイツ西部、ポーランドはフランスの従属国となり、ロシア、プロイセン、オーストリアはナポレオンに屈し、フランスの同盟国となった。

 こうして、フランスの敵はイギリスだけとなった。
ナポレオンは工業国イギリスを締め上げるため、イギリスとの貿易を禁ずる大陸封鎖令をだした。

 しかし、これはロシアの経済を痛めつけた。
ロシア皇帝アレクサンドル1世は封鎖令を無視、オーストリア、プロイセンともひそかに連絡を取り合い、フランスとの戦争の準備を進めた。

 このロシアの動きを知ったナポレオンは、ロシアに一撃を加えんものと、ヨーロッパ各国から兵を集め、最強最大の遠征軍を組織した。

 動員した兵員数は46万人、内フランス兵20万人、外国人兵が26万人だった。
兵員数は巨大だったが、外国人兵は、祖国の独立がかかったポーランド兵を除き、戦意は低かった。


 1812年6月、大遠征軍は国境の河、ニーメン河を越えた。
軽快な足取りの軽騎兵、槍先に赤リボンをつけた槍騎兵、甲冑をキラキラ輝かせた胸甲騎兵が数百騎単位で通過する。
その中に6頭立ての皇帝用馬車も混じる。

 続けてマスケット銃を抱えた歩兵の大軍、さらに4から6頭の馬が引く大砲が何百門も。
その後には、無数の荷車、食料用家畜、将兵の家族、洗濯や看護、小売りをする女性、慰安婦などが続く。

 ギイは果てしなく続く、この大行軍の中にいた。
初夏の太陽が容赦なく照りつけ、人も馬も汗まみれになる。
舞い上がる土埃で前を行く部隊がかすんで見える。

 馬を寄せ、少し年上のジャンに語りかける。
「戦いはどの位続くのかな?」
「ナポレオンは常勝将軍だ、すぐに片付くさ。」
 
 参考図:「ナポレオンの生涯」、ティエリー・レンツ、創元社、1999
     
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