1969年初夏、ビジコン社から派遣された我々4人は、サンフランシスコ空港に降り立った。
インテル社の研究開発部門のマネージャー、テッド・ホフ氏が迎えに来てくれた。
空港から南へ、インテル社のあるマウンテンビュー市を目指す。
アメリカの第一印象は、何もかも大きい、ということだった。
それと全体を包む空気、日本の湿り気のある、もやっとしたのとは正反対のカラッとした、原色の映える空気だ。
こぎれいな宿舎の一室に荷物を置き、早速仕様の打合せに入る。
ビジコン側が資料、図面を出して説明するが、ホフは顔をしかめ、頭を振る。
「ビジコン案は複雑すぎる。多数のチップの集合体になり、失敗するだろう。」
「それと開発に時間がかかり、価格も予定より超えてしまう。」
「しかし我々としては従来の延長線上ではなく、新しいプログラム論理方式を採用したいのです。」
「入出力制御を入れることは、絶対に譲れない。」
双方理解できないことは私が間に入り、何とか意思疎通を図る。
ホフはビジコン側の希望を考慮して、汎用プロセッサのためのアーキテクチャ(システムの論理的構造)を考える。
ビジコン側は、簡単化のための仕様変更、設計を行う。
このようにして、社内に閉じこもっての1ヶ月が過ぎた。
ある日、ホフが興奮して私達の部屋に入ってきた。
そして、かれのアイデアを示した。
“4ビットのCPU(中央処理ユニット)を1枚にチップにのせる”というものだった。
参考図:「マイクロコンピュータの誕生」、嶋正利、岩波書店、1988
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