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スペイン黄金船団(5)

 原本はイギリス人、Laughton, John Knoxにより書かれた「Sea fights and adventures, described by John Knox Laughton」(1901年刊)で、カリブ海を舞台に私掠船(しりゃくせん:国黙認の海賊船)の活躍を青少年向けに描いています。  現在騒がれているソマリア沖や南シナ海の海賊と違い、当時の私掠船は国同士の勢力争いの影の尖兵の感があり、また植民地からスペインが奪った黄金財宝を横取りするという爽快感もあります。  まずは読んで見ましょう。

The Spanish Treasure Ships (5)
 Some years later, when he was making that wonderful voyage round the world, which I daresay you have read of, he came across a treasure ship on the way from Callao to Panama; and as she was fitted rather to carry treasure than to fight, he had no difficulty in capturing her, and with her, as much silver, gold, and precious stones as his ship could hold. It was afterwards said that there was very much more than his ship could hold, and that a great deal of the silver had to be thrown overboard; but that, I fancy, was a made-up story.

 There were many other private attempts to take some of their treasure from the Spaniards, and many rich prizes were made; but the fleets of Queen Elizabeth, though they went more than once to lie in wait for the flota, were never fortunate enough to meet it.

スペイン黄金船団(5)
 それから何年か後、ドレイクが世界一周の素晴しい航海をしているとき-皆さんはその航海について読んだことがあると思うが-彼はカヤオ(ペルー西部の港町)からパナマへ航行する財宝船ルートを探った。  財宝船は戦うより財宝を運ぶように作られていたので、彼は雑作なく財宝船を捕獲できた。  その船はドレイクの船が運びきれないほどの大量の銀と宝石類を積んでいたのであった。  後に語られたところによると、運びきれないほどの量だったので、大量の銀を船外に棄てなければならなかったとある、しかし、これは後世の人の作り話だろう。

 その他にも、スペイン人から財宝を分捕る海賊による多くの試みがあり、結構成功したという。  しかし、エリザベス女王の艦隊(英国艦隊)は1度ならず“フロッタ”を待ち伏せしたが、それと会う幸運には恵まれなかった。
  
(ひとこと)
 マゼラン一行が始めて世界一周を成し遂げたのが1522年、3年の船旅で265人の乗組員の内、生還したのは僅か18名だった。  それから55年後、エリザベス女王などの出費を得て、ドレイクは世界周航を成し遂げた。  その途中、スペインの植民地や財宝船を襲ったり、香料取引をして巨万の富を手に入れた。  その富は出費者に還元され、のちのイギリス経済発展の基礎となったという。  お金の稼ぎ方より、その使い方が問題ということかな? 
〔参考文献:増田義郎著「大航海時代」、講談社〕
     
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