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無敵艦隊(15)

 原本はイギリス人、Shippen Edwardにより書かれた「Naval battles of the world: from Salamis to Japan Sea」(1905年刊)で、サラミスの戦いから日本海海戦までの歴史的な海戦を紹介している。 日本は周囲を海に囲まれてはいるが、とても海洋国家とはいえない。日本人がはるかなる海に眼を向けたのは、室町や明治のほんの一時期にすぎない。世界では海の支配をめぐり、いくたびかの戦いが繰り広げられた。それを垣間見ることにより、歴史の舞台では忘れられがちな部分にスポットを当ててみよう。

THE INVINCIBLE ARMADA (15)
 During the whole forenoon the wind was very light, and the weather thick; but towards evening a fine south-west wind set in, and the mist rising, the two fleets discovered each other.

 The Armada, in a half-moon, and in complete battle array, was so compactly drawn up that its its flanking vessels were distributed but seven miles from each other; and all were bearing steadily up channel. The Spanish guns were so numerous, and so much heavier in caliber than anything the English carried, that the Lord High Admiral saw at once that the force at his command could not successfully confront the enemy. He therefore permitted them to pass without firing a shot; but hung closely upon their rear, in hopes of cutting off any vessels which might chance to astern of the others.

 It was not until the next day, Sunday, July 31st, that an opportunity offered for attacking to advantage. Then, “sending a pinnace, called the Defiance, before him, to denounce war against the enemy, by the discharge of all her guns,” Howard at once opened fire from his own ship, the Royal Oak, upon a large galleon, commanded by Don Alphonso de Leyva, which he took to be the flag-ship of the Spanish commander-in-chief.

無敵艦隊(15)
 午前中、風は非常に弱く、天気はどんよりしていた。  しかし、夕方に近づくにつれ、素晴しい南西風が吹き始め、霧が上がり、2つの艦隊はお互いを発見した。

 完全な戦闘配列である三日月陣形の“アルマダ”は、ぎっしりと陣形を組んでいたので、その両側面は互いに7マイルも離れて配列されていた。  そして、全艦船は着実にイギリス海峡を上っていった。  スペイン船の大砲は数が多く、その口径はイングランド船のどれよりも大きかったので、海軍総司令官(ハワード卿)は彼の指揮下の艦隊が敵にうまく立ち向かえないだろう、とすぐに理解した。  そのため、彼は敵艦隊を砲撃することなく、通過させたのである。  しかし、落後するかもしれない敵船をやっつける望みを持って、敵の後ろに食いついていた。

 有利に攻撃できるチャンスが、とうとう次の日、7月31日の日曜にやってきた。   “ピンネス(艦載艇)、デフィアンスを送り、全砲火を発射して敵に対し宣戦を通告せよ。”  ハワード卿はすぐさま、彼自身の船 “ロイヤル・オーク”から、ドン・アルフォンソ・デ・レイバの指揮する巨大なガレオン船に砲火を開いた。  その船はスペインの総司令官の乗る旗艦だろう、とハワード卿はみたのである。

(ひとこと)
 この時代、海戦の方法は劇的に変わろうとしていた。  従来の海戦では、大砲は船の前方に積んでおり、最初に露払い的に発射した後、敵船に接舷、兵士が乗り込み、制圧するのが主流だった。  その後、オールは取り払われ、多数の大砲が側面に取り付けられるようになった。  スペイン艦隊の戦法は従来の方法から抜け出せず、大砲で敵船の動きを止めた後、接舷、鉄砲や槍で武装した兵士が肉弾戦で制圧する、というものだった。  一方、イングランド艦隊は砲戦で敵を撃破する、という戦法をとり、白兵戦用兵士はのっていなかった。  そのため、スペイン船の大砲は口径が大きく、破壊力の大きい重い弾を発射できたが、射程距離は短かった。  反面、イングランド船の大砲は口径が小さく、射程距離は大きかったが、弾は破壊力の小さい軽いものだった。
〔参考文献:マイケル・ルイス著「アルマダの戦い」、新評論〕
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