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その後

6.その後 

  林彪らの乗った専用機は、ソ連への亡命途中にモンゴルで墜落した。

 航空機に乗っていた林彪、葉群(林彪の妻)、林立果(林彪の息子)

 ら9人は、全員死亡した。

 

  この事件が中国当局から公表されたのは、事件から10ヶ月も経ってからである。

 林彪は「毛沢東を暗殺して、権力を奪取しようとした」として、激しく批判され、

「反革命集団の主犯」とされてしまう。

 

  林彪グループの軍高官、高級将校らが逮捕され、取り調べを受ける。

 しかし、彼らがクーデターに関与した直接的な証拠は見つからなかった。

 

  その後、党中央では極左派が力を失い、周恩来などの穏健派が優勢になる。

 外交面でも転換がみられ、事件の翌年にはニクソン米大統領が訪中し、

 中米国交正常化への道が開かれた。

 

  事件から5年後、毛沢東が死去し、“文化大革命”の動乱は終息する。

  指導部による総括の中で、次のように述べられている。

 「文革の誤りは、林彪、江青・四人組に起因する。」

 

 参考図:「新しい中国の顔」、尾崎秀樹、講談社、1992

     

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