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第4話(2)

 祖国回復の願い(2)

 ナポレオンのロシア遠征は大失敗に終わり、従軍し、勇敢に戦ったポーランド軍団は壊滅的な損害を受けた。
それと共に、ポーランド復活の夢も消えてしまった。


 しかし、ポーランド人の粘り強い抵抗は続く。
19世紀半ばまで、ポーランド軍将兵、市民、農民は、大きな蜂起を3回繰り返す。

 1830年には、フランス7月革命を押さえ込むのにポーランド軍を使おうとしたロシアに、ポーランド軍将兵が反発し、蜂起した。
市民も加わり、国民政府を樹立したが、ロシアの軍事力の前に屈した。

 1846年にはヨーロッパ諸民族の民族独立の流れに乗り、独立革命運動を展開した。
1863年にも、ロシアに対し、大規模な蜂起を起こした。
しかし、蜂起はそのつど鎮圧され、多くの犠牲者を出し、さらなる締め付けを招いた。


 これらの敗北から、19世紀後半に入ると、ポーランド人は政治より経済、文化、教育に目を向ける。
そして、それらの充実を計り、民族の実力を養う、という方向に転換した。
しかし、それらも表面上は支配国の意向に沿う形で行わねばならなかった。

 ロシア領ポーランドでは、徹底したロシア化政策がなされた。
官庁の役人はロシア人になり、公的機関ではロシア語のみが使用された。

 参考図:Wikipedia:「ヤン・ヘンリク・ドンブロフスキ」
     
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