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英語で読む海戦史(18)

原書は、著名なアメリカの海戦史家Samuel Eliot Morisonの「The Two-Ocean War」です。内容は第2次世界大戦におけるアメリカ合衆国海軍の太平洋と大西洋における戦いを描いたものです。日本との太平洋における戦いの部分に関しては、光人社から「モリソンの太平洋海戦史」(大谷内一夫 訳)として出版されています。あまり知られていない、ドイツとの大西洋における戦いの部分に関して、英語の勉強をかねて読んでみました。

(原文)
Chapter Ⅴ Destruction in the Atlantic
18.
By June of 1942 the United States Navy and the Army Air Force were coming to grips with the U-boat problem, but were far from attaining mastery. The shortage of escorts was still critical; no DE had yet joined the Fleet. No killer groups of escort carriers had yet been organized. On the other side, Admiral Doenitz had not exhausted his repertoire, and tough days were to come for the convoys. The Admiral, who relieved Raeder as commander in chief of the German Navy in January 1943, later regarded the next two months as the peak of U-boats achievement.

A fair example of a transatlantic convoy crossing in June 1942 and of the comparatively slight improvement in antisubmarine warfare to that time, is furnished by the story of Convoy ONS-102, from Londonderry to Halifax. There were 63 ships in eleven columns, protected by nine escorts―U.S.S.Leary, three big Coast Guard cutters, one Canadian destroyer, and four Canadian corvettes. Commander P.R.Heineman was escort commander in U.S.C.G.C. Campbell. Speed of advance was 8 knots. At 0725 June 16, two contacts were made through HF/DF, and two escorts were detached to run them down. Both made unsuccessful depth charge attacks, but the convoy was left at peace that night.

(訳)
第5章 大西洋での破滅
18.
1942年の6月までには、アメリカ海軍と陸軍航空隊は、Uボートに関する問題をしっかり把握した。とは言っても、勝利を達成するには程遠い状態だった。護衛艦艇の不足は、まだ危機的だった。一隻の新式駆逐艦も艦隊には配属されず、護衛空母をもつキラーグループもまだ、組織されていなかった。他方、デーニッツ提督は、その攻撃能力を涸らしてはいなかった。そして、厳しい日々が船団にやってきた。1943年1月、レーダーに代わってドイツ海軍最高司令官に任命されたデーニッツ提督は、それに続く2ヶ月をUボートによる戦果のピーク期と、後に認めた。

1942年6月の大西洋を横断する船団と対潜水艦戦が比較的少し進歩したことを示す良い例が、ロンドンデリーからハリファクスに向かう、ONS102船団についての話にある。その船団は11縦列の63隻より成り、9隻の護衛艦―アメリカ艦艇Leary、3隻の大型沿岸警備艇、1隻のカナダ駆逐艦、4隻のカナダ小型警備艇―により守られていた。アメリカ沿岸警備艇Campbellの指揮官ハイネマンが護衛隊司令官だった。船団の前進速力は8ノット。6月16日7:25、方位探知機を通して2つの点を感知し、すぐさま2隻の護衛艦が、そいつらをやっつけるため、派遣された。2隻共、爆雷攻撃を行ったが、失敗した。しかし、船団はその夜、なにごともなかった。

(注釈)
      潜水艦戦は科学者、技術者を動員した技術開発の戦いでもあった。文中の方位探知機HF/DF(High-frequency/ Direction finder)は、潜水艦から発信された電波を複数のアンテナで受信することにより、発信源の位置を特定する装置である。Uボートは船団攻撃に際し、集団で攻撃する方法(“狼群”戦術)をとったので、無線通信は不可欠であった。

      日本は、レーダーに代表されるこの種の電波兵器の開発では、イギリス、アメリカに大きく遅れをとり、苦戦の原因のひとつとなった。

〔参考文献:佐藤俊之“Uボートの大西洋通商破壊戦”、軍事研究、2006-5〕
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