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第5話(3)

 改革・開放へ(3)

 1976年1月、皆に敬愛されていた周恩来首相が死去した。
江青ら文革派はこれを機に反撃に出たが、民衆はもう付いてこなかった。

 8ヶ月後、毛沢東主席がこの世を去った。
このニュースを聞いたとき、私の頭の中は真っ白になった。
偉大な指導者を失った悲しみより、開放感の方が強かったのである。


 研究所内の雰囲気も変わってきた。
この10年来の政治学習で押さえられてきた、私の知的好奇心は、一挙に芽を吹き出した。

 破壊された図書室を再建し、離散した本や資料を集める。
古書店を周り、食事を切り詰めたお金で、専門書を買った。

 2,3の仲間と科学技術に関する勉強会を始めた。
「ひっそりと」である。
“また、揺り戻しがあるかもしれない。”


 京生は号外で毛主席の死を知った。
毛の死と社会の経済再建への動きを受け、京生の心に“ぽっかり”と穴が開いてしまった。
“一体、あの自分が身を捧げた文革とは何だったんだろう?”

 待業青年の仲間は市党本部におしかけ、“職よこせ”のデモを行った。
過激な連中は“紅色防衛隊”をつくり、復権した実権派の元に押しかけた。
ある男は自暴自棄になり、商店に押し入り、射殺された。

 京生は、今まで自分が主人公だと思っていた世の中が、自分の横を通り過ぎて行くのを感じた。
“これからは、自分のことだけを考えよう!”


 毛沢東の意向で、中間派の華国峰が国家主席なった。
華国峰は実権派の支援を受け、文革派の江青ら「四人組」を逮捕する。
こうして、党中央を実権派が掌握したのである。

 10年間にわたり中国全土を、また世界を揺り動かした文化大革命は終わった。

 参考図:「内部―ある中国報告」、舟橋洋一、朝日新聞社、1983
     
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