稲刈りの話や、イナゴを見たりすると
毎年思い出すことがあります。
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小学生の頃、昭和30年ごろだったか?
学校の生徒全員でのイナゴ獲りの思い出です。
授業の変わりにやるわけですが
みんな、親の手作りの袋とお弁当を持って登校しまします。
うまく描けていませんが
手ぬぐいを輪にして縫って
口の部分は、すぼめて10センチくらいの
細竹をくくり付けます。
イナゴを捕まえたら
竹筒の中に入れて、手ぬぐいの袋の中に落ちていくんですよ。
うまく考えられたものだと、今でも思います。
袋の中では、イナゴがもぞもぞ動いていて
なんとも、気持ち悪かったような?・・・
そして
学校に戻って獲ったイナゴを集め、業者に売って
校内の資金にしていたようです。
今で言えば、子供会で廃品回収をしているようなものだったのでしょう。
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今ではイナゴも少なくなったとか聞きますし
秋の虫の声も変わってきていると夫がなげいています。
生態系が変わってきているのは確かなようですね。
イナゴ獲りのホンワカ思い出にふけりながら
いろいろ考えた夜でした。
私の言わんとすることがお分かりになっていただけますでしょうか。
ほんとに生態系は人間が壊していることは自覚している方が多いでしょう。しかし、ここまでくるとどこをどう手を付けていったらよいのか?そこが難しいところですね。
便利な生活してしまうと、なかなか元に戻せない、そんな自分にもいらだちます。
カンレさん
母とイナゴを獲りに行ったことを思い出しました。イナゴを獲りに行ったり、栗や銀杏を拾いに行ったり
それはそれはたのしい思い出です。
そうそう、お月見の時には、すすきも取りに行きました。
母はもう遠いお空の人ですが、特に秋は、母との懐かしい思い出がたくさんある季節でもあります。
やさしい記憶が蘇ってきました。カンレさんのイナゴ獲りの記事に感謝です!
そうですか。そういえば私も母の思い出も秋が多いですね。
秋は夜が長いからお母さんとスキンシップの時間が取れたのでしょうね。
それと、雨の日も母と一緒でうれしかったです。
やっぱり、子どもは母と一緒が幸せなんだと、改めて感じますね。
感謝?それはうれしいわ(^_-)-☆
私なんか、気持ち悪いどころか、煎ってお醤油からませて食べました。
終戦後の事です。
絵はパソコンのツール使って描いた絵でしょう?
私、一度だけ枯葉を描いてメールの飾りにしました。
乾煎りした、いなごを粉末にして、ふりかけに利用している人もあったそうですが、物のない頃には、貴重なカルシューム源になっていたのでしょうね。
年代といってもそれほど違わないですよ。
ただ、母も虫が嫌いでしたから作らなかったのですねきっと。
今は、売っているイナゴの佃煮は食べるんですよ。
お絵かきソフトで書いたのですが、恥ずかしいです。不細工すぎて・・・(ーー;)
あら、ねこやまさんも同い年くらいでしたか。
でも、逃がしてやった事を聞くと、現金に換えて・・・ってなことはなかったのですね。それじゃもっと若いですね。
ほんとにカルシューム源や蛋白源には自然の生き物をずいぶん食べましたよね。
おばあちゃんが使っていました。
イナゴを買い取ってくれる業者がいたんですね。
今は、どうなんでしょうね。
おばあちゃんが?作ってましたか。私の年代の頃の方はみな知っていると思いますよ。
み~んなやりましたからね。
業者はどうなんでしょうね。売っているんだからどこかにはいるでしょうねぇ。わかんな~い。(^_^.)