いくら1000円でも渋滞じゃ意味ない.
近場でまったり観光する.まだまだ見たいところがたくさんある.
まえから行ってみたかった長谷寺(奈良時代創建)へ車を走らす.
長い門前町にたくさんの店がならんで楽しめた.
草餅,三輪そうめん,佃煮,タケノコ焼き等買った.
下登廊
ぼたん祭りの最中だった.もう少し早ければ満開だった.
その後,予定にはなかったが談山神社の標識が見えたので寄ってみる.
談山神社は,中大兄皇子と中臣鎌足が大化の改新の作戦を練った山に由来する.
中大兄皇子と中臣鎌足の二人は蹴鞠会(けまりえ)で出会ったので,
4月にけまり祭りが行われている.これがちょっとおかしな所でもある.
実際に二人が出会った蹴鞠会は飛鳥寺で行われたが,飛鳥寺には,けまり祭りはない.
今も藤原と蘇我との確執が残っているということか….
談山神社は藤原色全開の神社.
蹴鞠の庭
埼玉から妻の母が遊びに来たので奈良観光につきあう.
夜は東大寺この時期恒例行事の二月堂お水取りに行った.
次の日,本当は月ヶ瀬梅林を見に行く予定だったが,バスの行列を見て萎える.
予定変更で車で近場をまわる.
まず近所で有名な追分梅林を見に行く.(去年も見に行った.)
奈良の民家がたくさん保存されている.公園も広くてのんびりできる.
写真は吉野の民家.吉野杉がたくさん使われている.
その後矢田寺に向かう.
途中にプロペラを祭った神社があるときいて寄ってみる.
矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ),創建は6世紀.
この辺り矢田丘陵は古くは物部の土地であり,
この神社は物部の祖,饒速日命(にぎはやひのみこと)を祀っている.
饒速日命は天磐船(あめのいわふね)という、天空を行き来する船に乗って、地に降りてきたという日本書紀の神話から航空の神様として祀られているらしい。
プロペラは旧陸軍中島飛行機,九一戦闘機のプロペラと同じ型らしい.
とてもユニークだった.
そして矢田寺(金剛山寺(こんごうせんじ))へ.これも創建は6世紀.
ほとんど観光客は無く静か.
あじさい寺といわれ,あじさいの咲く頃には少しは賑やかになるのかも.
夜は生駒山中腹にあるスリランカ料理,ラッキーガーデンへ.
ランチは何度か行っているがディナーは初めてだった.
生駒の夜景を一望.
斑鳩方面へハイキング.
まずは法隆寺に隣接する中宮寺へ.
聖徳太子の母の穴穂部間人皇后によって、太子の宮居斑鳩宮を中央にして、西の法隆寺と対照的な位置に創建された寺。
見物は弥勒菩薩半跏像.「古典的微笑」(アルカイックスマイル)でファンが多い.
その後,すぐ隣の法隆寺の夢殿へ
ずっと見たいと思っていた救世観音像(飛鳥時代)を見ることが出来た.
秘仏となっているがこの時期見ることが出来る.
救世観音像は長年秘仏とされてきた.これ,かなり怪しいことがわかっている.
救世観音像は聖徳太子等身像といわれてきた.明治17年にアメリカ人の学者フェノロサによって調査された.
観音像は500ヤードの白布でぐるぐる巻きにされ厨子の中に閉じこめられていた.
法隆寺では厨子を開けると天変地異が起こると言われてきた.
さらに後頭部に直接光背が杭で打ち込まれていた.
この事は異常で日本人の心情からすると犯罪行為だといわれた.
つぎに法隆寺をまわる.
かなり法隆寺には怪しい物を感じる.どうもオカルトチック.
例えば7不思議が有名
・法隆寺の伽藍には蜘蛛が巣を作らず、雀もフンをかけない
・南大門の前に鯛石と呼ばれる大きな石がある
・五重塔の上部の九輪に鎌が四本刺さっている
・法隆寺の中庭に伏蔵(ふくぞう)が三つある
・因可池(よるかのいけ)の蛙には片目がない
東大門と東院伽藍を結ぶ大路の奥にある因可池の付近には太子が住んでいた斑鳩宮があり,当時太子が学問をしている時に蛙がうるさいので静かにするようにと筆で目をついたら、この池の蛙はすべて片目になったそう。
・夢殿の礼盤(らいばん:僧が座る台)の裏が汗をかく
毎年2月11日にこの礼盤を日光に当てる夢殿のお水取りが行われ,礼盤は自然と水気を帯び、その水気の量によって豊作か凶作かを占うらしい。
・地面に雨垂れの穴があかない
聖徳太子が選んだ土地の地盤の良さ、水はけの良さを伝えるものだと思われる。
鯛石
五重塔,釜が刺さってるのが見える.
五重の塔も相当怪しい.
大正15年に心柱の上に舎利容器が発見され,昭和20年の学術調査のときに容器が取り出されたが,この容器がどう見積もっても7世紀後半の物で,法隆寺建立の年代と合わない.
日本書紀には法隆寺は全焼して跡形もなくなったと記録する一方,法隆寺の公式見解では創建以来一度も燃えていない事になっている.
発掘調査によれば現在の法隆寺の西院伽藍の東南に創建法隆寺の伽藍跡が見つかっていて,矛盾だらけである.
七不思議に加えて,梅原猛「隠された十字架」では多くの不可解な点を挙げている.
たとえば,
・中門の真ん中に通せんぼうをするかのように柱が立てられている
(聖徳太子とその一族の怨念を封じ込めていると・・・)
・金堂の本尊が三体ある.
・精霊会というお祭りで聖徳太子は7才像となっている.
(子供は鬼の象徴,鬼に勝てるのは子供で,子供もまた鬼であるとの考え)
完全に聖徳太子を鬼扱い.
中門
まぁいろいろ,調べれば調べるほど怪しい寺である.
その後,食事などをとりながら藤ノ木古墳へ
6世紀後半の円墳で石室には2体の男性が埋葬されていたが人物は不明.
再び法隆寺方面へ戻り,法輪寺へ.法隆寺のミニチュアといわれている.
法輪寺は山背大兄王創建といわれている.
山背大兄王は聖徳太子の子で,斑鳩での蘇我入鹿による一家滅亡は(黒幕は中臣鎌足だという説もある),蘇我入鹿暗殺の大義名分となった.
最後は法起寺へ.
この地は聖徳太子が法華経を講じた「岡本宮」の跡地と言われ、太子の遺言により子息の山背大兄王が岡本宮を寺に改めたのが法起寺の始まりとされている。
今回,聖徳太子ゆかりの地をまわった.
まだまだ語りたいことはたくさんあるが,ますますこの人物は怪しいことを再確認した.
この怪しさは「日本書紀」の怪しさでもある.
日本書紀の編集者(藤原氏の都合・・・)が古代史を歪めている.本当は重要なはずの出雲が蔑ろにされてたり….
奈良に住まなかったら,こんなに古代史に興味持たなかったと思う.
年末は毎年友人と旅行に行っている。
今年は蓼科へ。
友達のお父さんの会社の保養施設に泊まる。
ホテルに繋がったマンションになっていてホテルの温泉に入り放題。
特に観光は無しで、散歩、風呂入って、食べて、飲んで、寝て→繰り返し
のんびりしている。
今日は朝から去年に続き正倉院展に行く.
ほぼ開館と同時だったので混んでいたが待たずに見ることができた.
出る頃には行列ができていた.
今年のテーマ 1: 聖武天皇光明皇后関連
テーマ 2: 東大寺関連
テーマ 3: 絵画と文様
出展図録と『金銀平脱皮箱(きんぎんへいだつのかわばこ)』の柄の鏡を買う.
鳳凰の絵とまわりにいる鳥のバランスがなかなか良い.