■カンダタのブログ■

日々の雑感+コラム、現在不定期更新です。

罪と罰

2006年12月12日 10時07分58秒 | Weblog
ドストエフスキー「罪と罰」。
上巻の途中で2年くらい放置プレイだったんですが、一気に読み終わりました。
下巻だけで500ページもあったよ・・・

で、以前の記事で同じドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」について「デスノート」と似てるんじゃないかというのを書いた。
だけどこっちの方が似てますね。

(概要)
『頭脳明晰ではあるが貧しい元大学生ラスコーリニコフが、「一つの微細な罪悪は百の善行に償われる」「選ばれた非凡人は、新たな世の中の成長のためなら、社会道徳を踏み外す権利を持つ」という独自の犯罪理論をもとに、金貸しの強欲狡猾な老婆を殺害し、奪った金で世の中のために善行をしようと企てるも、殺害の現場に偶然居合わせたその妹まで殺害してしまう。この思いがけぬ殺人に、罪の意識が増長し、発狂していく。
しかし、ラスコーリニコフよりも惨憺たる生活を送る娼婦ソーニャが、家族のためにつくす徹底された自己犠牲の生き方に心をうたれ、最後に自首をするまで様々な葛藤をして、人間回復への強烈な願望を訴えたヒューマニズムが描かれた小説。
殺人犯としてのラスコーリニコフが、予審判事ポルフィーリィに追い詰められ、又それに立ち向かう鬼気迫るやりとりの、推理小説さながらな場面も見ものである。』


デスノートを持った主人公が誤って善人を殺してしまうといった感じです。
そしてポルフィーリィとの対決はLとの心理戦のよう。

この主人公のメンタリティは私と似てるように思います。
だけど私の場合信念というものがほとんど無い。
理論はあっても信念は無いんですね。
デスノートの主人公も信念でおかしくなってしまう。
私の場合、逆説的ですが「信念は理論を邪魔するからいらないというのが信念」ですね。

「頭脳明晰だが傲慢」という主人公に対して私は「頭脳明晰(かはおいといて)で謙虚」なんでしょうね。ホンマか・・・

ま、だから大それたこともしないんでしょう。
見もふたもないといえばそうですね。
ソーニャみたいな子に心を溶かしてほしいです・・・