■カンダタのブログ■

日々の雑感+コラム、現在不定期更新です。

ついに出た!Gショック携帯

2005年05月26日 16時51分23秒 | 商品紹介
生産中止になってたGショック携帯が復活するようです。
でも私はドコモだから変えないかも。
最初はいつ壊すか心配だったんですけど慣れましたしね、、、

現場にでる仕事の人や水を扱う人は絶対これだと思います。





以下関連記事
ヤフーニュース
KDDIニューリリース
ITmediaニュース
その2





真の女好き

2005年05月24日 18時41分38秒 | Weblog
「ほぼ日刊イトイ新聞」に糸井重里氏がこんなことを書いていた。

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ぼくはわりに焼き魚や煮魚をきれいに食べる。
きれいに食べるとほめられることもある。
ほめられるときに、ついでに、
「魚が好きなんだねぇ」とうれしそうに言う人もいる。
魚は好きだけど、しみじみ言われると
真の魚好きに悪いような気もする。

ぼくは、魚をきれいに食べることに憧れて、
魚好きになったように思う。
魚の料理を食べ終わった皿がきれいだったりすると、
たいへんにかっこいい。
そういう皿を自分の前に置きたくて、魚好きになってきた。

魚好きが魚をきれいに食べるというのは、ほんとうだ。
魚の好きな人は、「これは食べない」という部分を、
明確に認識している。
だいたいは、一部の例外を除いて「頭」と、
これまた一部の例外を除いて「骨」と「しっぽ」だ。
で、それ以外はぜんぶ食うと決めているのだ。
しかし、ハンパに魚の好きな人には、
「これは食べない」部分の境界があいまいなのだ。
はらわた、血合いの部分、皮など、
食うのか食わないのかはっきりしないままで、
箸を進めているのである。
だーから、ゴミなのか食物なのかあいまいなまま、
魚のはらわたや血合いや皮や、皮のついた肉が、
ぐちゃぐちゃになって溜まっていくのだ。
結局、それは汚くなって食べづらくなり、ゴミになる。
魚の好きな人の食べ残しは、頭と骨としっぽしかない。
だから、食べた後の皿がきれいなのだ。

おまけに、類推しやすい法則を考えついたぞ。
もてる男は、「これは手を出さない」という
格別に苦手な種類の異性以外は、ぜんぶ食べようとする。
もてない男は、手を出すのか出さないのか、
自分でもよくわかならないままぐずぐずしていて、
そのうち、ぐちゃぐちゃになって自分がゴミになる
‥‥ッてなことは、言えるんでないかい?
あ、仕事なんかも似たようなことが言えそうだぞ。
「好きこそものの上手なれ」って、そういうことだったのか!

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ああ、だから私はもてないんだなー
境界線がハッキリしないもんな。

そこで迷うことはかなりの時間の無駄ですよね。
しかも、最初にキチッと判断しておかないから食べないとわかったときに
無駄な罪悪感を感じることになります。

、、、ホント無駄だわ。
魚の食べ方あまりきれいじゃないしな、、、

そういえばこないだ斎藤孝氏が
「私は真のギョウザ好きだからギョウザであればなんでもいいんです。
で、真の女好きかどうか考えたんですが、、、そうではなかったようです(笑)」
と言ってました。

私も真の女好きではないので境界をハッキリさせて迷わないようにしようと思いました。

、、、でもそうすると「俺はマグロのトロしか食べない」みたいなことになるんだよねー

やっぱりもてる人ってどの部分もうまく料理しておいしく食べる方法を知ってるような気がしますね。






どう働くか、何を目指すか その2

2005年05月06日 05時28分15秒 | Weblog
私が言いたいのは「スーパーサラリーマン。ソツのない優秀と呼ばれる人を目指す人たち。」
を目指せ、と言っているのではありません。うまく金もうけをしたり会社を利用することを勧めているのでもありません。
3タイプそれぞれです。

私がこの記事を書いた理由は、近年「過労→病気→死亡」あるいは「過労→うつ→自殺」がものすごく多いからです。

周りを見渡してもほとんどが過労状態。第2ステージに進んでるであろう人もいます。

それに気が付いて辞める人はまだいいんですよ。

私の身内はこのままではヤバイということで辞めましたが、その半年後に直属の上司が過労死しました。

で、今のリストラ由来の過労状態というのは全く意味が無いです。

どんなに仕事ができる人でもせいぜい2人分ですかね。
今まで10人で担いでたお神輿を1人でかつげと言われても無理ですよね。
まあ仮に人が1~5人分できたとしても仕事の物量攻撃は1~無限大なわけです。
それをやらなければ、、、というのはナンセンスです。

仕事だから人とやっているという意識が強いんでしょうか。

成果という面では同僚と競うことができます。
スポーツのように人対人で勝者がいて敗者がいます。

でも、今問題なのは人と争っているわけではないということです。
サーフィンでビッグウェンズデーのような波に飛び込んでみたり、
八甲田山のような雪山に登ろうとするなどといったことに近いんです。

ベルセルクの人間の戦闘力が1~10なのに対して化け物が1万~10万というのにも近いですね。
人間の枠でがんばることは意味無いです。

ということで、会社を利用するなり、投資するなり、自営業で上手く人を雇うなりして自衛することを考えなければいけないと思うんです。

でも、みんな今大丈夫だからなのか私の「なにか考えているの?」という疑問自体が通じないことが多いですね。

特に時間に関しては、「時間というものを選択すること=怠けたい、楽して儲けたい」というマイナスのイメージが強すぎると思います。







どう働くか、何を目指すか

2005年05月03日 18時12分32秒 | Weblog
私が見ているサイトにこんな記事があった「ビジネスマンの生き方論」

ちょうどこないだこういう話をしていたところでした。

その時うまく説明できなかったことがあります。

どの道を選ぶかは人それぞれだし、一長一短あると思うんです。

だけど経営者と特にここ数年の従業員というのは時間というものがとられすぎだと思います。

しかも常態化していて減りそうに無いです。

お金というのは無ければ無いで生活レベルを落とせばいいと思います。

しかし、時間というのはどうしようもないですよね。

、、、というようなことを言いたかったんですがみんなあまり問題にしていないようです。

世界的に有名なコンサルタントの大前研一氏は普通のビジネスマンの何十倍も稼いでいますが
夏に2週間、春と正月に1週間休暇をとるそうです。

できる人ほど休めると思うんですけどね。

給料=時給×労働時間という関係が成り立つのに、バイトと違って固定給になると時給の感覚がなくなるんでしょうかね。

で、給料だけを見て上がったと喜んでるわけです。

ビジネスマンの能力って給料ではなくて時給のほうですよね。