日本カナダ文学会・The Canadian Literary Society of Japan

日本カナダ文学会は、日本におけるカナダ文学の研究および普及を目的とする学術団体です。

Newsletter 70

2018-09-30 | Newsletter

  

NEWSLETTER 

THE CANADIAN LITERARY SOCIETY OF JAPAN 

L’association japonaise de la littérature canadienne 


Number 70 

Fall, 2018


会長挨拶

日本文学会会長 佐藤アヤ子

秋の気配を感じるようになりました。会員の皆様にはますますご活躍のこととお喜び申し上げます。 NEWSLETTER 70 号をお届けします。

今夏は、地震、台風、豪雨と相次いで災害が日本各地で発生し、被災された会員の方もいらっしゃる のではないかと案じております。深くお見舞い申し上げます。

さて、戸田由紀子会員のご協力をいただき、6 16 日(土)に椙山女学園大学で開催された第 36 回 年次研究大会・総会はおかげ様で成功裏に終了することができました。本大会では、午前の部で研究発 表を二つ、午後の部で「産業・環境・カナダ文学《 Canada’s Industry, Environment, and Literature 》 のシンポジウムを組みました。「産業・環境・カナダ文学」のテーマは、今まで大会で取り上げられたこ とはなく、若い会員たちのおかげで日本におけるカナダ文学研究のすそ野の広がりを実感できるよい機 会となりました。発表者、並びに司会者の方々、お疲れ様でした。御礼申し上げます。

また大会では、荒木陽子会員のお力添えをいただき、ニューブランズウィック州の St. Thomas University Tony Tremblay 教授を特別講演者に迎えすることができ、いっそう充実した大会になりま した。

最近、会員の方から、〈人新世〉という言葉を学びました。英語表現は〈Anthropocene〉。オゾン破壊 を解明し、1995 年にノーベル賞を受賞した大気化学者である Paul J. Crutzen 博士による造語です。「人類の時代」という意味の新しい時代区分で、人類が地球の生態系や気候に大きな影響を及ぼすようにな った時代を表し、「完新世」の次の地質時代を表して博士が提案した造語です。日本中を襲った今夏の災 害を鑑みても、クルッツェン博士の〈人新世〉が現実味を帯びています。ひとり一人が地球環境を守っ ていかなければいけないと強く思います。

会員の皆さまの一層のご活躍をお祈り申し上げます。 

日本カナダ文学会会長 佐藤 アヤ子

追記

日本カナダ文学会の創立 30 周年記念行事のひとつとして企画された翻訳書『ケンブリッジ版カナダ文学史』(彩流社刊)が、日本カナダ学会「学会特別賞」(翻訳書に対する賞)を受賞しました。授賞式(2018 年 9 月 15 日日本カナダ学会第 43 回年次研究大会)には、翻訳者のひとりで、カナダ文学会にも長く貢 献された竹中 豊先生に代表でご出席いただきました。


日本カナダ文学会 第36回年次研究大会を振り返って

副会長 室淳子

前日の雨が上がり、天候に恵まれた一日となりました。今年度の大会は、戸田会員のご尽力により、 名古屋駅からもアクセスの良い椙山女学園大学の星が丘キャンパスにて開催されました。星が丘駅から 大学に向かう間に、星が丘テラスのおしゃれな雰囲気を楽しんだ方もいらっしゃるでしょうし、ランチ ブレイクに実際に足を運んだ方もいらっしゃったかもしれません。毎年大会で新しい情報を得ては、カ ナダ文学関連の蔵書を増やすことが私の習慣になっていますが、今年もまた同じように、いくつもの興 味深い研究発表を聞いた後、メモを頼りにせっせと検索し、読書リストを増やすことができました。

今年の特別講演には、荒木会員のご尽力により、カナダのニューブランズウィック州からセントトー マス大学のトニー・トレンブレー氏をお招きすることができました。優しく誠実なお人柄で、午前の研 究発表から午後のシンポジウムに至るまでずっと耳を傾けてくれ、そんな方は初めてじゃないかという 声も上がりました。ニューブランズウィック研究の第一人者でいらっしゃり、ニューブランズウィック に関する研究が皆無であった状態から、小さなグループを立ち上げ、大学のコース整備とともに、ドキ ュメンタリー制作、研究誌発行、オンライン百科辞典の作成、公教育カリキュラムの立ち上げ等、多方 面に働きかけてこられたそうです。様々な文化プロジェクトを実践していくことで、地域に対する人々 の知識を増やし、地域に暮らす人々の肯定感や誇りを養成することのできる可能性についてお話しくだ さいました。日本の地方に関する話題も上がり、私自身、自分の故郷に思いを馳せては、その土地に生 み出された文化や文学がいかに自分の自己形成に関わってきたのか、考えさせられました。大会では、 個々の作家や作品に関するお話はありませんでしたが、後日大学をお訪ねくださった折に、 Alden Nowlan 3 つの詩をとても分かりやすく、学生たちの素朴な質問をさらに発展させる形で説明してくだ さり、とても面白かったことも、追記しておきたいと思います。

午前の発表から、午後の特別講演、シンポジウムに至るまで、どこかに共通したテーマを抱え、最後 に全部ぐるりと話がつながったねというのも、今大会で印象に残った言葉でした。

懇親会では、戸田会員がゼミの打ち上げにも使うという星が丘テラスのイタリアンレストランで、戸 田会員保証つきのお料理の数々を楽しみました。トレンブレー氏も、日本でこんなにおいしいイタリア ンが食べられるとは思わなかったと、仰るほどでした。おしゃべりをしながらとても楽しいひと時を過 ごしました。

来年、またお目にかかれますこと、楽しみにしております。皆様、どうもありがとうございました。

 

36 回研究大会概要

<研究発表>(Research Presentations)

<1> ヒロミ・ゴトーの『コーラス・オブ・マッシュルーム』における祖母と孫娘の関わり

The Grandmother-Granddaughter Relationship in Hiromi Goto’s Chorus of Mushrooms
(原田 寛子会員)

本発表では、ヒロミ・ゴトー(Hiromi Goto, 1966-)の『コーラス・オブ・マッシュルーム』(Chorus of Mushrooms, 1994)において、孫娘の成長に祖母がどのように関わっているかを考察し、祖母の重要 性と新たな祖母像を追求した。まず、一般的な議論として、女性の成長を考えるうえで、母親の主体が 「不在」であることを問題として取り上げ、それを解決するうえで、母と娘という 2 世代の関係性でな く、祖母を含む 3 世代の女性のつながりが重要であることを提示した。次に、この作品において、娘の アイデンティティ構築の過程で母親の存在が「不在」となっていることを言葉と物語という視点から論 じた。カナダに移住した時に日本語を捨てた母親ケイコは、言葉とそれによって構築される物語を娘ム ラサキに与えなかったことによって、娘の成長にとって「不在」の母親であった。そして次に、その「不 在」を埋める役割として祖母ナオエの存在が重要であることを論じた。カナダの家でひとり日本語を喋 り続けるナオエは、英語しか話せないムラサキとは言葉が通じないものの、孫娘に言葉の存在と流動的 で変化する物語の本質を伝える。また、物語を語る際にムラサキを見守るナオエは、孫娘が自分の物語 を語り自己を見つけることをサポートし、言葉を「不在」から「存在」するものへと導いている。最後 に、この物語における日本の伝統的物語の語り直しの挿話から「山姥」の話を取り上げ、ナオエが山姥 的な特徴を備えていることを論じた。カナダの家を出て旅を続けるナオエの姿は、既成の概念を超え、「里」 の流儀に従わず、「山」に住み、移動する女として自由を得た現代の山姥像とみなすことができる。娘の ガイドやサポート役としての祖母の役割の重要性を伝えながら、一方で一般的なお婆さんのイメージを 覆し、孫娘と同様にヒロインになり、自らの物語を更新していく祖母・老女ナオエの存在を描くことで、 この小説は、言葉や物語のみならず様々な固定された概念を超えて行く要素を備えている。

<2> 現代カナダ思春期文学の挑戦 Calvin における心の病と冒険サバイバル
The Challenge of a Contemporary Canadian Adolescent Story: Calvin, Schizophrenia and Adventure Story

(白井 澄子会員)

Calvin1 は、統合失調症を患った男子高校生 Calvin が、Hobbes2 というトラの幻影と幻聴に悩まされ ながらも、何とか自分を取り戻したいと、冬の凍結したエリー湖を2日間で歩いて横断するという無謀 な計画を実行する中で起こる事柄を扱っている。その悪戦苦闘ぶりが、カナダ児童文学で古くから愛さ れてきた冒険サバイバル物語(以下、冒険物語)のスタイルを用いて描かれ、シリアスだが笑いを含ん だ作品となっている。発表では、心の病に苦しむ思春期の Calvin Hobbes との関係を見つめ直し、本 当の自分を模索する冒険の旅と、彼を支援しようと同行する押しかけ女房的な Susie に焦点をあて、新 しい冒険物語といえる Calvin の現代性を、伝統的な冒険物語と比較しながら考察した。

Calvin の自己統合のプロセスは、まさに冒険とサバイバルそのものである。作品はカナダの児童文学 で古くから愛された冒険物語のパターン(先住民、凶暴な野生動物との遭遇、飢えと悪天候との戦いな ど)を用いつつも、伝統的な冒険ものとは異なる新しい展開をさせることで、容易ならぬ魂の冒険譚を 描くことに成功している。幻影として現れるトラの Hobbes は、心身ともに不安定な思春期にある Calvin のいわば分裂した自己の一部であり、卒業しつつある「子ども」の部分でもある。Calvin は物語の最後 で Hobbes の言葉に耳を傾け、Hobbes を自分の内側に取り込むことで心のバランスを取り戻したと言え る。また、生きることに自信を失いかけた Calvin が他者への愛と自己愛に目覚めるきっかけとなったの が、Susie とのロマンスである。極寒の氷上を歩き続ける 2 人は飢えと寒さに苦しむが、その中で Susie Calvin を引き立て、ついには愛の告白をする。愛に支えられた Calvin の試練に立ち向かう姿勢が、 病からの立ち直りにつながったといえるだろう。

この作品は、Calvin に現れる幻視や幻聴といったリアルと非リアルの混乱を読者にも疑似体験させ、 子ども期から思春期を経て大人になるプロセスとその痛みを統合失調症という心の病に重ねて表現する とともに、冒険サバイバル物語の形を取ることで、思春期から大人へと成長する困難な道のりを表現し た。さらに、大人になることは子ども期を卒業するのではなく、子ども期を心の奥に持ち続けることだ としている点も、従来の冒険物語や思春期文学に見られる「成長=子どもを捨て去り大人になる」単な るマッチョな冒険物語の図式を刷新したといえるだろう。

1 カナダの現代児童文学作家MartineLeavittによる作品。2016年のGovernorGeneral’sLiteraryAward児童文学部門を受賞した。 Leavitt はファンタジーからリアリズムまで多数の作品を発表し、高い評価を受けている。
2 Hobbes は、アメリカの漫画家 Bill Watterson による連載漫画 Calvin & Hobbes に登場する男子小学生 Calvin 所有のぬいぐるみで、イ マジナリー・フレンドである。漫画には同級生の Susie も登場している。Calvin には漫画との繋がりが多々見られる。

<特別講演>(Special Guest Lecture)


Restoring Pride of Place: Re-Making New Brunswick and Atlantic Canada through Cultural Work》

講演者 (Lecturer): トニー・トレンブレー教授 (Prof Tony Tremblay)

司会・報告 (Chair / Reporter) : 荒木 陽子会員

36 回大会の基調講演は、ニューブランズウィック州のセント・トーマス大学からトニー・トレンブ レー氏を迎えて行われた。講演前半は日本のカナダ文学研究者の間であまり知られていないニューブラ ンズウィック州に関する基礎情報、および州を縦横に流れ、大西洋に注ぎ込む水体系におおいに依存す る林業を基盤とするその発展過程をわかりやすく解説した。州の林業は時代と乱開発に起因する供給可 能な資源の変化に伴い、帆船を主力としたイギリス帝国海軍へのマスト材の供給から、多くが国内外の 大都市をベースとする大資本系列の製紙業へのパルプ材の供給へと姿を変えていったという。講演後半、 トレンブレー氏は、このようにニューブランズウィックの産業は外的要因に大きく左右されてきたこと を示したうえで、現在の資本主義に支配されるグローバリズムの中、ニューブランズウィック州の産業、 およびそれを支えてきた周縁の小さなコミュニティの存続危機は回避できないという現状認識のもとに、少なくともその記憶を文化的活動、さらには教育的活動で、次世代にとどめることの重要性を訴えた。 そして、そのためにトレンブレー氏がとる具体的な方策として、生まれ育った州北部の製紙工場閉鎖を 追うドキュメンタリー映画 The Last Shift (2010)の制作、資料の少ないニューブランズウィック研究お よび同州文学に関するウェブ教材 New Brunswick Literary Encyclopedia (2011)の開発や研究誌 Journal of New Brunswick Studies の創設(2010-)、さらにはそれを次世代に伝えるための文学教育カリ キュラム New Brunswick Literature Curriculum in English (2017)の制作と公開などを紹介された。

中央から離れたニューブランズウィック州、ひいてはアトランティック・カナダ全体の抱える問題の ひとつは、地域間格差であることは明らかだ。発表後の質疑応答では、講演者が聴衆に問う形で、日本 の地域間格差に触れられたが、都市在住者が多数派の聴衆の間ではそれほど地域間格差が意識されてい ないようであった。このことに地方出身・在住の司会者はすこし驚くとともに、聴衆に広く問題意識を 啓発する意味でも意義深い講演であった。

シンポジウム (Symposium) 産業・環境・カナダ文学《 Canada’s Industry, Environment, and Literature

司会 荒木 陽子会員

国際情勢などの社会的環境、そして州を支える基幹産業のもととなった森林資源などの自然環境の 一部であり続けるニューブランズウィック州の文学・文化的記憶を、教育を通して後世に伝えることの 重要性を訴えるトレンブレー氏の基調講演を受け、シンポジウムでは、産業と環境を切り口に、特に「大 いなる周縁」から多面的にカナダの文学を考察した。

佐々木菜緒氏による発表「ガスペジー―ケベックの想像世界における歴史的、社会的、文化的役割」 は、文学作品から大衆文化に至る多様な媒体に登場するケベック州ガスペジーの漁師のイメージに着目 し、その 18 世紀から 20 世紀に至るその変遷を追い、ケベック文学事情に明るくないものも多い聴衆に 貴重な情報を提供した。室淳子氏による発表「カナダ先住民と天然資源開発」は、近年の資料や文学作 品をふんだんに用いながら、西部の原油・天然ガス開発地域に生活する先住民の現状を、開発者による 雇用の提供、さらには若手作家への支援等の複雑な問題を含めてわかりやすく解説した。佐藤アヤ子氏 による発表「The Glace Bay Miners’ Museum にみる女たち」は、原作となった短編小説はもとより、 視覚的に刺激の強い映画化作品も用いながら、ノヴァスコシア州北部のケープブレトン島の炭鉱町に生 き、労働災害や退職後も続く職業病により、家族の男たちを見送った女性が、もはや言葉を失った男た ちの記憶をこの世にとどめようとする姿を追い、シンポジウム会場をおおいに盛り上げた。

環境はそこに備わる資源の開発のありかたの如何で、人間のコミュニティに富をもたらすことも、そ れを壊滅的な状態に至らしめることも可能である。本シンポジウムは、資源の開発・活用が人間の貨幣 獲得のためにほぼ不可避であるカナダの現状において、コミュニティの記憶の記録者として、またコミ ュニティと資本家、そして本来の環境の新しい関係性の模索者として文学の役割を考えるにあたり学ぶ ところの大きなものとなった。

<発表1> ガスペジー―ケベックの想像世界における歴史的、社会的、文化的役割― 《Gaspésie: Historical, Social and Cultural Roles in the Québec Imaginary

(佐々木 菜緒会員)

本発表ではケベック北東部に位置するガスペジーに注目して、ケベックにおいて歴史的、社会的、文 学的にどのような意味をもつ地域なのか明らかにすることを試みた。沿岸地域であるガスペジーには、 基調講演で Tony Tremblay 教授がお話されたニューブランズウィックの場合と共通して考えるべき問題 が多々見出される。18 世紀ヌーヴェル・フランス時代から今日にいたるまで、主に漁業や林業とともに 発展してきた地域であるが、その盛衰は「中心」の歴史に翻弄されている。ヨーロッパとアメリカ大陸 との貿易港として大きい存在感をもっていたのは 19 世紀初頭までで、その後徐々に、都市化、産業形態 および交通網の変化を受けてこれらの地域は長い低迷期に入る。確かに、20 世紀半ばケベック全体に生 じた大きな社会変革の影響により、州レベルでの経済成長は目を見張ったが、ガスペジー地元経済の主 要産業である漁業は強い資本にのまれている。

このような発展の流れの中で、「ガスペジーの漁業または漁師(Pêche ou Pêcheur de la Gaspésie)」 はしばしばケベックの想像世界において社会的に搾取される者として参照される( e.g. « Histoire de pêche » ; La Maison du pêcheur)。また、ペルセの町を中心に栄えた観光業は地元における英仏の社会 的格差の問題に拍車をかけ、後の「革命」の象徴的な場となる。一方、長い間たとえばモンレアルから 見て遠い未知の場、辺境の地であったため、20 世紀初頭にようやくガスペの町まで鉄道が開通して以降、 多くの芸術家、詩人、作家たちを感化している(e.g. Félix Leclerc ; Jacques Ferron ; Gabrielle Roy)。 ケベックの自己認識が高まる時期にガスペジー地域の歴史性、社会性、そして土着性などが「ケベック 性」の一つとしてさまざまに描かれている点がいくつかのテクストを通して示された。

最後に、ニューブランズウィックとの共通の観点から言えば、広大な土地カナダにおいて「地方」と は単に空間的に遠いだけでなく、心理的にも遠い存在であることが指摘できる。それゆえに全面的に孤 立化してしまう。その意味で、ガスペジーについて考えることは、ケベックの歴史と社会における中心 と周縁、都市と地方、知識文化と民衆文化など、現代ケベックあるいはカナダの発展史における本質的 な問題を意味するのだと示唆される。

<発表2> カナダ先住民と天然資源開発
Canadian Aboriginals and the Development of Natural Resources

(室 淳子会員)

今春、カナダ放送協会(CBC)のウェブページの先住民に関わるサイトには、アルバータ州エドモントン からブリティッシュ・コロンビア州バーナビー市に原油を輸送するトランス・マウンテン・パイプライ ンの拡張建設に関わるニュースが頻繁に報道された。カナダの天然資源開発には長い歴史があるが、2003 年に米国エネルギー情報局が原油の確認埋蔵量としてアルバータ州のオイルサンドを含めて以来、カナ ダの原油確認埋蔵量は世界的に見ても多く、2016 年時点で世界第 3 位の地位を占めている。アメリカや アジア、ヨーロッパに向けた石油開発は急速に進められ、「21 世紀のゴールドラッシュ」とも呼ばれる状 況を生み出したのだ。

天然資源開発に伴って、先住民の生活環境は大きく変えられた。地域に暮らす先住民に対して十分な 説明がされないままに開発が進められる状況も多く、健康被害や環境汚染の影響も大きい。新たなパイ プラインの建設をめぐっては、先住民による抵抗運動が盛んに行われ、計画が中断されているケースも 見られる。

先住民が取る立場も一様ではない。天然資源開発は、地域の経済活性化と雇用促進に働きかけ、貧困 に伴う様々な問題を抱える先住民コミュニティーにとっては、切り離すことの難しい存在でもある。居 留地でのカジノ経営と同様に、矛盾を承知の上で推進の立場を取る者もいるようだ。天然資源開発には、 動物保護や地球温暖化防止のための目標値との関わりも指摘されている。

本シンポジウムでは、主に原油開発をめぐる先住民コミュニティーの社会的状況について報告を行っ た上で、先住民作家イーデン・ロビンソン(Eden Robinson, 1968-)を取り上げた。ロビンソンは、故郷の キティマトに導かれる計画のあった原油輸送のノーザン・ゲートウェイ・パイプラインの建設に反対の 姿勢を示し、数々のエッセイやインタビューにおいて自らの見解を発表している。ロビンソンの短編 “Queen of the North” (1995)、長編 Monkey Beach (2000)、長編 3 部作第 1 Son of a Trickster (2017) においても、天然資源開発に関する描写は散りばめられ、先住民コミュニティーとの根深い関わりを読 み取ることができる。

<発表 3>『グレース・ベイの炭鉱夫博物館』にみる女たち 《Women in The Glace Bay Miners’ Museum

(佐藤 アヤ子会長)

Sheldon Currie(1934-)の短編小説、The Glace Bay Miners’ Museum(『グレース・ベイの炭 鉱夫博物館』1976)は、1940 年代のノヴァスコシア州のケープ・ブレトン島を舞台に、落盤事故に よる坑夫たちの死が日常化している炭鉱町で家族を失った若い女性Margaret MacNeilの回想で展 開していく作品である。1991 年に、本作品は、Wendy Lill によってラジオ・ドラマ化され、さらに 舞台劇となり、1995年には、Helena Bonham Carter主演でMagaret’s Museumのタイトルで映 画化され、翌年には『死の愛撫』と題して日本でも公開されている。戯曲The Glace Bay Miners’ Museum(『マギーの博物館』)は、会員の吉原豊司訳で 2012 4 月に劇団民藝によって上演されて いる。

The Glace Bay Miners’ Museum では、原作者のシェルドン・カリーも脚本家のウェンディー・ リルも主人公マーガレットに代表されるような「強く、勇敢で、自己を信じて戦う女たち」を描い ている。その一方、炭鉱産業が全盛期であったころでも、そこに暮らしていた女性たちに関する資 料は極端に少なかったと言われている。しかし、劣悪な坑内で、安い賃金で働き、落盤事故で逝っ た父や、兄弟や、夫たちを見ながら、女たちは強く、たくましく生きてきたことは明白である。

本発表では、19 世紀後半から 20 世紀前半にかけてケープ・ブレトン島の主幹産業であった炭鉱 業の盛衰の歴史を鑑みながら、そこで展開されてきた「炭鉱と女たち」の関係性をThe Glace Bay Miners’ Museum を通して分析した。

 

<特別寄稿>(Special Articles) 1

Visiting Japan

Tony Tremblay

At the invitation of professors Yoko Araki (Keiwa College) and Ayako Sato (President of the Canadian Literary Society of Japan), I travelled to Japan for the first three weeks of June 2018 to give a series of talks about my work and deliver the keynote address at the society’s annual conference. Since such a trip was a once-in-a-lifetime opportunity, my wife, also an academic, accompanied me. Below is a brief recap of our trip.

We began in Tokyo, specifically the Ueno (Taitō) ward of the city, chosen because of access from Narita airport and then easy access to the Shinkansen bullet train that would transport us to Niigata. Two days in Ueno enabled us to get our bearings, learn that people walked and drove on the left side of sidewalks and streets, and try some of the famous ramen shops that we had read so much about. We mostly explored Ueno Park, though, because the temperatures in Tokyo were in the high thirties too hot and sticky for much sightseeing or noodle slurping.

Temperatures dropped as we made our way north to Niigata, where my fellow Atlantic-Canadianist and UNB alumnus Araki-sensei had arranged almost a full week of lectures and community visits. I spoke to her students and colleagues about documentary film, about reversing rural decline through development of identity projects, and about building community around shared aspects of history and culture. We visited Japanese gardens, saw a kite festival, screened a very fine documentary film, and travelled into the mountains to see Niigata’s magnificent trees, shrines, and samurai quarters. Students, faculty, and senior administrators welcomed us enthusiastically, grateful that we had made the long journey to visit them. We were a bit of a novelty, as westerners don’t often get as far north as the Chūbu region, but we came to love the city on the Sea of Japan and hope to be back soon. The trees, rivers, and farmlands reminded us of eastern Canada, but, of course, the rice fields were new to us.

From Niigata we travelled through mountainside tunnels in Yoko’s Toyota Corolla to Nagoya, a journey that raised a few eyebrows for being almost seven hours long, but a rather routine trip for Canadians. I gave my conference keynote in Nagoya the next day, surprised to discover that papers were being delivered on Eden Robinson and natural resources, on The Glace Bay Miners’ Museum, on Gaspésie, and on a host of other familiar topics. My regret is that I couldn’t understand the presentations in Japanese. That said, my own talk was warmly received and prompted a number of excellent questions that I have since reflected on. At the dinner afterwards, I met a large number of committed Canadianists: translators of Margaret Atwood and Alice Munro, admirers of Alden Nowlan and Elizabeth Brewster, and modernists studying Marshall McLuhan, Glenn Gould, and Canadian film. As my new friends pressed me for information about Canadian literature and film, I pressed them about Japanese writers, rushing out the next day to buy Haruki Murakami’s Norwegian Wood.

While in Nagoya, we also visited classrooms at Sugiyama Jogakuen University, Nagoya University of Foreign Studies, and Chukyo University, speaking on topics as diverse as Antonine Maillet, Acadian literature, Alden Nowlan, and how multimedia shapes the way we think. My wife and I are grateful to professors Yukiko Toda, Junko Muro, and Chris Armstrong as well as their students for exceptional hospitality.

Armstrong-sensei, a New Brunswick-born scholar whom I know from his work in Atlantic-Canadian studies, was incredibly gracious, inviting us to dinners, showing us the city, ensuring that we sampled Japan’s prized cuisine, and accompanying us to Kyoto and Nara.

A student-faculty roundtable he organized on secondary and postsecondary education (Canadian and Japanese perspectives) was the final highlight of our stay in Nagoya, enabling us to have a wide-ranging discussion with senior students who had just completed their practicums. Chris’s students were articulate and frank about their hopes and fears in becoming teachers in the famously demanding and competitive Japanese public education system.

Lunch with Armstrong-sensei’s Education students, Chukyo University

Chris accompanied us to our ryokan in Nara that afternoon, navigating the train systems that, after twenty years in Japan, he had become expert in. When he left we commented on how grateful we felt to have had Yoko and Chris as our guides. Japan is so different than the West that we needed their help to steer us and keep us on track.

There were so many highlights during our short stay that it is difficult to name just a few, but I will try. First and most affecting was the outstanding hospitality and kindness of the Japanese people. Our societies in the West have so much to learn from Japanese politeness, service, and civility. We’ve travelled the world and have experienced nothing like it before. The shining quality of its

people is surely Japan’s greatest resource. Whether manifest in the concern for us during the Osaka earthquake, the countless courtesies that were extended, or the final gift of a scroll made for us by a renowned Nara calligrapher the night before we left, that constant thoughtfulness was the absolute highlight of our trip. We will never forget it.

Nor will we forget the inquisitiveness of students, the uniformed school children, the red-carpet treatment at gas stations, the farewell bows to planes on airport tarmacs, the deep emerald green of Japanese gardens, the long tunnels through mountains, the patience of pedestrians and drivers (no one jaywalks or honks!), the variety of noodles, pork, and pagodas, the punctuality of trains, the eloquent sparseness of tatamied ryokans, or the Shinto-inspired care of old trees, their withered trunks propped up by crutches and ropes.

We are very grateful for having had the chance to visit Japan, and we cannot wait to return.


2 『ケンブリッジ版 カナダ文学史』、JACS学会賞を受賞


竹中 豊(日本カナダ学会顧問)

飛びあがるほどのグッドニュースです。日本カナダ文学会会員の皆様にとっては、馴染みある『ケン ブリッジ版カナダ文学史』(彩流社、2016 年、826 頁。原著 The Cambridge History of Canadian LiteratureCambridge University Press, 2009)が、このたび日本カナダ学会(以下、JACS)の「学 会特別賞(翻訳書)」に選ばれました。

JACS は、「日本におけるカナダ研究の優れた成果を顕彰し、カナダ研究の発展に資することを目的と して」、隔年ごとに、該当する邦語書籍に対して「学会賞」を、そして翻訳書に対しては「学会特別賞(翻 訳書)」を授与しています。これは 2016 年よりはじまった企画の一つで、今回は2回目の実施年となり ます。

JACS 学会賞選考委員会によると、今回の「学会特別賞(翻訳書)」の受賞理由は、原著のカナダ文学 研究に関する傑出した内容はもちろんのこと、カナダ文学にあまり馴染みのない日本の読者をも念頭に おきながら、きわめて「丁寧な翻訳と解説」がなされた点も高く評価された、としております。これは、 同翻訳にかかわった 26 名の会員の努力、さらにはカナダ文学にむける熱意のたまものだと思います。

同学会賞の授賞式は、去る 9 15 日(土)、神戸国際大学で開催された JACS 年次研究大会時の懇親 会席上にて行われました。本来であれば、代表として授賞式に臨まれるのは、本書の監修者がふさわし いのですが、あいにく 3 名とも所用のため、出席がかないませんでした。そこで、佐藤アヤ子会長から の要請もあり、また本書の翻訳にあずかり、かつ、長らく日本カナダ文学会創立時以来のメンバーでも あった竹中が、僭越ながら“大役”を引き受けさせていただきました。賞状および副賞金 8 万円は、JACS 会長・佐藤信行氏(中央大学)より贈呈されました。

あらためて『ケンブリッジ版カナダ文学史』の翻訳刊行に関して言えば、本書は、ご承知のように 2012 年のカナダ文学会創立 30 周年を記念して企画されたものです。彩流社が本企画にご理解をいただき、出 版を引きうけていただけたのは幸いでした。それでも、原著書は 802 頁の大著に加え、難解な文体や独 特の表現方法も散見され、正直、日本語への翻訳には苦労も多かったと思われます。試行錯誤を重ねながらも、企画立ちあげから 4 年後の 2016 年に、ついに刊行にこぎつけることができました。 ところで、“カナダ文学”なるものを初めて総括的にまとめあげた著作といえば、おそらくは 1965 年刊

行の The Literary History of Canada(University of Toronto Press)でしょう。この時点で、書名が Canadian literature でなく、Literary(文学的)と表記されていたのは、カナダ文学の存在そのものに 対する控えめな自覚があったからかもしれません。さらにマーガレット・アトウッドは、「カナダ文学を 書くことは歴史的にみれば個人的行為であって、長いあいだ聴衆などは存在しなかった」・・・とさえ、 自虐的に述べていました。1972 年のことです。

しかし、こうした「カナダは英語・仏語にせよ、真の国民文学をもっていない」と揶揄されていたの は、もう「今は昔」の話。英語系・仏語系独自のカナダ文学は、今やイギリス文学・フランス文学・ア メリカ文学とも異なり、内面における独自の言語表現を十分果たしています。その分野は小説、詩、評 論にとどまりません。

先住民の伝承文学、自然文学、探検物語、移民文 学など多岐にわたります。『ケンブリッジ版カナダ 文学史』は、そのことを見事に実証してくれまし た。その意味で、本書の出版は、知的な大事件でありました。そして今回の受賞は、まさしく <穏和な(peaceable) “大事件>だったに違いあ りません。

会員による新刊書紹介

〇塩田弘・松永京子他編著『エコクリティシズムの波を超えて』 (音羽書房鶴見書店、2017 5 月)3,800 円+税

ISBN-10: 4755304016/ISBN-13: 978-4755304019

 *荒木陽子会員によるアリステア・マクラウド及び岸野英美会員に よるルース・オゼキの論考を所収 

〇森有礼・小原文衛編著『路と異界の英語圏文学』(大阪教育図書、2018 1 月)2,800 円+税

ISBN-10: 4271210536/ISBN-13: 978-4271210535 *森有礼会員によるウィリアム・フォークナー及び C. J. アームスト

ロング会員によるアトランティック・カナダの論考を所収 マーガレット・アトウッド著『洪水の年(上・下)』佐藤 アヤ子訳

(岩波書店、2018 9 月)各巻 2,916


編集後記 

北海道を除けば、まだ夏の名残の感じられる時節かと思いますが、会員の皆さまはいかがお過ごしで しょうか。今号は 6 月に開催された年次研究大会の報告を中心に作成しています。司会、発表者をはじ めご執筆いただいた方々には多忙な中、ご寄稿いただき、誠にありがとうございました。また、Tony Tremblay 先生、竹中豊先生からも原稿をお寄せいただき、大変充実した、そして読み応えのある NL を お送りできたのではないかと思います。 

ところで北海道民にとって、「9 月は残酷な月」でした。9 月 4 日~5 日にかけての台風 21 号の上陸、 6 日午前 3 時にはこれまで道民が経験したことのない大地震に見舞われました。勤務校ではすでに授業が 始まっていましたが、翌朝から休校となり、学生全員の安否確認にも数日かかりました。その後、授業 は再開しましたが、20 日を過ぎても、節電中のほの暗い廊下を学生や教員が行き交っています。今回の地震によって多くの人が亡くなり、家屋が倒壊し、全道全域に甚大な被害がもたらされました。しかし、 震源地に近い場所に、もし原発があったらと想像すると、ブラックアウトどころではない、おぞましい 事態が待ち受けていたのではないかと震え上がります。(M)

6 月の大会では、ステキなゲストを迎え、皆さまと穏やかな楽しい 1 日を過ごさせていただきました。 その後、夏の暑さは厳しさを増し、各地で災害が続き、「普通の日々」を過ごす難しさを痛感いたします。 被災地の皆さまには、少しでも早く「普通」の生活が戻ることをお祈り申し上げるばかりです。 

8 月、エディンバラの国際ブック・フェスティバルで興味深い作家に出会いました。北緯 60 度に位置 する島、シェットランド出身のMalachy Tallackという作家です。エディンバラからの帰国の便で、彼 が自らの “home” を探求し、もちろんカナダも含めた北緯 60 度の土地をめぐった旅の記録 Sixty Degrees North を読みました。偶然にも、9 月初めに予定していた母との旅先は北欧で、彼の美しい本の 記憶とパラレルに、どこまでも広がる美しい湖とフィヨルドを心に刻みました。来年の秋、この作家に は日本への旅を経験してもらう計画を立て、話を進めています。不思議なめぐりあわせを感じる北緯 60 度の夏でした。 (S) 


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