篤姫と維新の志士たち

鹿児島を舞台にし、また徳川将軍の妻となった篤姫と明治維新の志士たちを尋ねて歩くブログです。いろんな異人達を探りますよ

南泉院を訪れて

2009-02-27 12:42:13 | Weblog
今日は、また、すごい寺院に行ってきました。鹿児島の人も、花尾神社は行った事があっても、南泉院までは、あまり行ってないと思います。隠れ念仏洞から、行く事30分、上へ上へ、山道(昔の古道のようです)を登っていきました。途中、鹿児島市が眼下に見える山の上で、山水が途中、出ており、甲付川に流れ込む、小さな川もあり、田の風景に心地よさを感じました。しばらく、行くと山の中も中に、
何かしら、広い広場(雑草地)の先に、おおきな階段があって、こんな所にすごいものが、見えてきました。南泉院は、東叡山寛永寺の末寺にて、天台宗(比叡山)
の寺院でありました。宝永7年(1710年)第21代島津吉貴公は東照烈祖の廟(みたま)を崇め東照宮の別当寺と和州(和歌山県)吉野山学頭増正智周を開山して創建しました。寺領は500万、実相院、観相院、吉相院の三つの志坊をもち、
三州天台宗の触頭として、薩摩有数の大寺院でした。
しかし、明治初年の廃仏棄釈(神仏分離令)により、薩摩内の寺院は全て廃止され、明治9年(1876年)9月5日「信教自由の布達」まで、一宇の寺院も存在しなかったのです。
当南泉院も、その難を逃れられず廃止され、爾来天台宗の寺院は再興されず、今日に至っておりましたが、平成9年6月2日(1997年)日置郡(現在は鹿児島市)郡山の宗教法人「大雄山南泉院」を復興し、宗祖伝教大師の「一隅を照らすもの、すなわち国宝なり」の遣教を流布すべく聖地として、今日に至っていました。

では、写真をごらんください。山奥にこんな、すごいのがありました。

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