篤姫と維新の志士たち

鹿児島を舞台にし、また徳川将軍の妻となった篤姫と明治維新の志士たちを尋ねて歩くブログです。いろんな異人達を探りますよ

再び・篤姫の50話を見て

2014-02-05 03:46:23 | Weblog
このブログを長く見て頂きまして、たいへんありがとうございます。今、思えば鹿児島に住みながら、知っていたのは西郷隆盛・大久保利通くらいで、恥ずかしい限りでした。しかし、数年前に篤姫を見て、薩摩のこと明治維新のこと、多くを学ぶことができました。
今回、ネット上で無料配信されている「篤姫」をもう一度見てみることと致しました。当時とはちがい・また新しい50話を見たような感動を覚えました。
鹿児島の薩摩・島津氏の今泉で生まれ、18歳で本家・斉彬の養子となり、19歳で京都・近衛家の養子となり2年間、江戸島津家で過ごし、21歳で徳川に嫁入りするのです。鹿児島の田舎で育った、たった21歳の子が徳川に嫁ぐという、たいへんなことでした。にも、関わらず、大奥で力を発揮、江戸城明け渡しまでの13年を大奥1000人のトップとして、歴史に名を刻んだのです。江戸城を出たときはまだ34歳、18歳から34歳までのこの間に大変な人物へと成長しました。女の道は一本道・一方聞いて沙汰するな・迷ったときは感じるままに、など母の教えを守り、2度と鹿児島に帰ることはなく、徳川の人として生涯をささげた姿に再び感動した50話でした。篤姫は、この世に生まれたからには、皆・何かの目的のために、生まれてきたのだと常に言っていました、人はそれぞれ道は違っても、何か、その人にしかできない、何かのために生まれたんだと。まさに、このときに明治維新をなした薩摩の人たちは、20代から40代で亡くなる人ばかりで、小松・西郷・大久保などや坂本龍馬もその一人です。時代が大きく変わるときに生きたからだともいえますが、現在では、とても考えられないことが、まだ130年くらい前までに薩摩でも起こった事実なのです。今、私が考えることは、私たちも何かの目的のために、生きており・家族や友と今やらなければならないことが、間違いなくあるということです。
これからの人生で何ができるのか、何をするべきなのか、ただ平和な日本で過ごすだけではなく、常に考え続けようと考えています。
話が難しくなりましたが、遅くなりましたが、本年もよろしくお願い致します。

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