子どもを中心として未来を創造する(?)

「子どもを中心として未来を創造する」

日本にたくさんある子ども文庫活動の基本思想でもあります。だから質の良い絵本をそろえましょう、みたいな感じが蔓延していました。

 落ち着いてよく考えると、このスローガンを考えたのは大人ですから、主語は「大人が」。大人が「子どもを利用して、中心として」ということです。つまり、大人は子どもを利用していいもの、という人権無視の捉え方をされています。
「創造する」もそうです。今の子どもの状態を「創造される前の段階」と認識しているから、これから「未来」を「創造」するのですね。
 子ども文庫(家庭文庫)スタッフは、子どもを、固有の文化のある人たち、それぞれが侵すことのできない人権を持っていると認識して欲しいと思います。そうすれば「私の大切な子どもたち」は「私の大切な家来たち」という意味も持っていると気づくはずです。ここで方向転換できるといいですね。

 もちろん私の思い違いかもしれません。頭書の発言をするのは○○大学教授だったり、地域の権威者であったりします。私などはボランティア団体の代表でしかない。「無名の私立大学の教授と有名大学の教授はどっちが偉いか考えてみてくださいね」などと発言するナントカ協議会の先生もいた。こういう人たちが、どこでもそうかもしれませんが、新潟にもあちこちいます。絶句するばかりでしたが、違う意見を言わない私にも、問題があったと思うので、ここに書いておきます。私が間違っているかも知れませんが。

 集団相手に絵本を見せるのならば、それに対応する本を選んでこなくてはなりませんが、それを選ぶ段階で行き過ぎがあります。なにせ「未来を創造したい」と思ってしまうと地に足がつかず、今の子どもの要望を聞くことができなくなります。良いことを目指すつもりで「良いプログラムを作る」とお互いを縛りあう状態があります。
 それをそれらの団体の特徴とするのか、それとも公共の活動にあったものかどうかもう一度考えてもらうのか。
 いずれにしろこれを乗り越えるには、一人一人の感性は違って当たり前という認識を、もう一度、思い出して欲しい。大先生の推薦する本も、市井の一人が気に入った本も、対等に見ていければいいですね。

 「質の良い絵本というのは、その絵本が子どもの記憶の泉になること、将来の願望や未来を創造する力になるもの」というくくり方もあるでしょう。でもそのくくりの中には、あてはまっていたとしても、「なんとかレンジャー」の本は入らないというのが今までの考え方だったですね。
 その他に、絵本の楽しみ方として、「ケラケラ笑えた」「真似をしていたずら書きした」「一緒に読んだ人が面白かった」などとその人それぞれ無限にあると思います。質の良い絵本をがっちり揃える他に、そういう楽しみが本の敷居を低くします。せめて、指導者がそのくらいおおらかにしてくださることを希望します。


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