図書館・語り・紙芝居・集団相手の絵本よみ・ボランティアなどについて書きます。
絵解きボランティア
脚本を変えることと著作権について
脚本を変えることについて、著作権違反にならないか、心配する声がありました。それで公益財団法人著作権情報センターに電話して聞いてみました。以下はその内容です。
1、紙芝居について
脚本が書いてあるならば、著作権は発生する。昔ばなしであっても、脚本家の工夫があり、著作権がある。例えば30分の紙芝居を10分にするなどは違反。争いになったときに負ける可能性がある。対象の人に合わせてやさしく言い直すなどは、著作権の権利制限の範囲内。
2、語りについて(昔話で、と説明した)
NPOの講座で「数冊読んでいくつかの良いところを踏まえて自分の語り口にする」と説明を受けたと石倉が言った。それに対しての答えは、昔ばなしの本の著者などの著作権は発生する。ただ、対象の人にわかってもらおうとする気持ちで、理解不足を補い、なおかつ悪意がこもっていないことも含めると、著作権の権利制限の範囲内。
とのことでした。これを頭に入れて今後活動すればいいと思います。
それについて私の考えを書きます。
1 まず、過去の経緯について。
私たちの紙芝居の会は、最初、長岡の新潟ひょうしぎの会の方を講師に講習を受けました。この方は右手さんの系列ですから、右手さんの著書『紙芝居のはじまりはじまり』を元に実演されています。ただ講座は理論についてはあまり説明がなく、資料も項目のみで、幕紙を作ることや彼女の実演をたくさん楽しむような講習でした。
その中で、まついのりこの『ごきげんのわるいコックさん』の実演説明で、画面の飴を観客の子どもに配るそぶりでやりとりして楽しむのだ、などと仰いました。1か月後位に会員さんがコックの帽子をかぶり、そのようにやって、とても喜ばれたのを思い出します。こんなに脚色(工夫)をしていいのかと私は驚いた記憶があります。他の方も思われたかも知れません。
その後、私も脚本を変えてもいいという発言をしました。論文にもそのように書いて図書館に納めました。会員さんにも配りました。その後、私はいろいろな本を紹介しましたが、実際読まれた方はわずかだと思います。
「脚本は短く。絵で分かる部分は省略」というのは、手作りコンクールで審査員が繰り返し言っていたことが根拠です。「1枚20秒以内」と言われましたが、後でわかったのはこの根拠は加太こうじの発言です。後に書く一声社の本の195ページにあります。長い画面や短い画面のメリハリをつけろ、などとも指導がありました。
次の定例会から、めいめい実際に実演をしましたが、教科書のようなものはありません。当時は絵本から絵柄を似せて人形劇を作る団体もあった位で、著作権についてはみんな関心が薄い時代だったと思います。
また、私が演じ方や選び方について何か言うと「息苦しい」などと皆さん仰いましたので、言わないようになりました。やがて数か月後、ある会員さんが「この会に先生はいないのですね。いいと思ったら真似すればいいし、いやだったら真似しなければいい」と仰って、私もまったく同感でした。生涯学習のポイントは「先生から習う」から「お互いに学びあう」という時代に移りつつあったと思います。その意味で、わたしたちの会は先進的な団体だと思います。無料劇団ではなく生涯学習団体だからです。
2 現在の「教科書」にあたるものについて書いてみます。
教科書にするなら『紙芝居演じ方のコツと基礎理論のテキスト』子どもの文化研究所/編(一声社)が良いと思います。この111ページからの理論編が脚色について書かれている部分です。
この126ページに「何が何でもシナリオどおりに先にすすめなくてはならない、おとなしく見ていなさい、といった演じ手の都合だけを優先させるようなかたくなな態度は~~~」などと書かれています。これは、聞き手を大切にしなさいよ、ということでしょう。
この部分の筆者は片岡輝:子どもの文化研究所所長、NPO法人語り手たちの会(石倉も会員)理事長、東京家政大学名誉教授、児童文学者、です。紙芝居理論と語り理論を平行して説明できる方です。
『紙芝居の演じ方Q&A』まついのりこ/作(童心社)の69ページに「原則として文章を変えないようにしよう」というのもあります。作家の思いを伝えるという立場に立つと大事だと思います。これに関して私が考えるのは、「目の前の人が大事か本が大事か」ということであり、「命が大事か国が大事か」という哲学のようなもので、人が大事だと思います。この本は、「演じ方はこうだ」と、かなり多方面にわたり限定的に指示されていて、それは筆者の個人的な身体感覚に基づいているので、「違う人はそう思わないかも」と思いながら読んだほうが良いと思います。多様性を尊重するということです。
また、外国の方の演じ方の様子がネットにアップされていると伝え聞きましたが、ここでも脚本をそのまま読んでいる人は少ないのではないでしょうか。まついのりこ(故人)は紙芝居文化の会の系列の人で、外国に紙芝居を広めていますが、その時にまついのりこのやり方を教科書にしています。そのまま守る人もいるでしょうし、教科書がおかしいと思って自分なりのやり方の人もいるでしょう。一つの教科書を鵜吞みにせず、複数の教科書を元に自分の考えでやればいいことです。
3 語り(ストーリーテリング)の演出について
どなたか偉い先生が言ったのか私が思ったのか忘れてしまいましたが、昔ばなしの語りは河の流れのようだと思います。最初は細い流れが、枝分かれしたり他の川と合流したりして流れていきます。時々、人が水を入れ物に入れて利用します。これが活字になった「昔ばなし本」や「紙芝居」です。入れ物に入れた人に著作権があります。そして入れ物に入れた水を受け取って次の人は自由に使えます(脚色や再話)。自由に使えるのは、もとは誰のものでもない河の水だからで、「権利の制限」にあたると思います。昔ばなしは再話を繰り返して現在に繋がっています。
4 これからはどうするか
現在、活字の通りに丸暗記して語るような指導がされたせいで、入れ物に入れた水が有効利用されずに溜まっているような状態があちこちにあります。本や話が権威になり、その権威を利用して威張る人が出てきました。私など「言葉を変えるなど100年早いわ」などと怒鳴られたものです。でも語り手たちの会が「自由に語りましょう」と提唱しNPO法人になり、私もブログで騒いだせいでしょうか、あまり言われなくなりました。
著作権に神経質になると、どこからセーフでどこからアウトか、心配になります。やがてお互いを監視するような息苦しい活動になるでしょう。これを防ぐためには、出典を明らかにし、結末を変えず、人がわかりやすくなるように、ということでいいと思います。「○○先生がいいと言った」と他人によりかかるのでなく、グレーであることを引き受けて自立した語り手になれればと思います。
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