やーね、あんなの福祉じゃないの

刺激的なタイトルですみません。
某読み聞かせボランティアが、数年前、口にした言葉です。子どもと本に関わろうとする人が、こう発言しました。新しい、先端的な、あるいは大衆的な絵の絵本を指して、「あんなの福祉じゃないの」ということでした。その場にいた私は、ただ絶句するばかりでした。
図書館協議会でも、自分がいいと思っている本を、複本で揃えて置いてほしいという要望を出す人がいます。何をどう思おうが自由ですしね。自分の感性はひときわ優れているので、皆に自分を見習って欲しい、他の町の人が来たら尊敬されるでしょ、ということでしょうか。

今、現実に起こっていることを否定せず、「どうしてそうなったか」と考えることの材料にします。それぞれの方に難があるわけでなく、そう考える環境にあったのです。では、その環境を作ったのは誰でしょうか。

 読み聞かせボランティア講習の最後に「コンサートや絵の展覧会に行って、自分の感性を磨いてほしい。そして新潟の文化を引っ張ってほしい」と締めくくり、おば様たちの目をウルウルお星様にする方々がいらっしゃる。
 お尋ねしたいことがあります。上等な絵、美しい言葉、リズム感、そういったものは、何かが正しくて何かが正しくないというような、そんな単純なものでしょうか。そして「引っ張ること」は、子ども同士の関係に対して、どんな影響を与えるでしょうか。

 別のページにも書いたように「図書館の延長線上に、市民社会がある」というのも、これと同じ発想だと思います。上等な表現のものを提示すれば、文化程度が上がる、という発想ですね。ゾロリは程度が低いから置かない、とか言ったりして。
 自分たちは偉いのだから(いつもコンサートとか行ってるし~、一万円の講演会も受けたし~)、反論は受け付けない。自分の趣味に合わないのは程度が低いのだ。だから、そんな変な本、笑っちゃうわよね。福祉にして、恵まれない方に施して差し上げれば?良い本を与えて寄り添って、文化レベルを上げて差し上げれば?
 なんだか文字にするのも胸が悪くなる。人間の関係は、上下や主従しかない、と思っている。

 新潟の司書の研修は、どんなことが行われているのか、私には分かりません。学校と、園と、市立図書館、それぞれ微妙に立場が違うんだろうな、と想像していますが、こんな事実があったということも、参考にしていただきたいと思います。
 そして、やはりそれらは公共施設です。子どもや、お年寄りが、誰もが安心して、お互いの存在を認め合える町であるには、どうすればよいのか、めいめいが考えていただきたい。それが平和に続く道ではないでしょうか。

 「やーね、あんなの福祉じゃないの」という声を聞いたその時、何の反論もできなかった自分を反省し、ここに、記録として出しておきます。その方は、その言葉の意味に気づいたのでしょうか、しばらくして辞められたそうです。辞めずに事態を動かしていただきたかったが、相手にする者が大きすぎることに足がすくんだのでしょう。

 私のしていることは、世の中の秩序を乱すことでしょうか。今、秩序が乱れているとしたら、どうしてそうなったか考えています。
 過去に、図書館の児童サービスに、自分が秩序だと思った人、その人を奉った人々がいて今もいる。上下主従の関係しかイメージできないひと。もちろんその方々も、人口の1人として尊重されるべきでしょう。そして今、気づいた人からハンドルを切ってほしい、と思っています。

「図書館を見ればその町がわかる」という。それは文化程度がどうとか、というのではなく、誰もがみな尊重されているかどうか、ということだと思います。コンサートや美術展に行っても行かなくても、ありのままの姿で尊重される、ということです。
 園や学校の図書室も、その縮図だと思います。絵の締め切りが終わったら、市会議員さんに手紙を書こうと思っています。
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