たまたま朝刊の広告を目にしたので読みました。たくさんの方が書いていらっしゃるので、立体的に理解ができたような気がしています。
それにしても、全国各地でいろいろな取り組みがされているのだなと改めて驚きました。
新潟県にも 協議会のようなものはあります。私も一応個人会員になっているので、通信を読めば各地の活動はわかります。他に引けを取らない研究者も長岡にはいらっしゃいます。そういったリーダー的な人よりも、地味に地域に根付いている語り手さんがたくさんいるのがいいところのような気がしていますし、そういう方にもそれなりに語りの場も確保されていると思っています。
ただ、今の子どもに伝えるために、大人の気持ちばかりが優先されていないだろうかというのがちょっと心配。スマホやパットなどの電子機器を目の敵にしても、今の子どもには違和感を持たれるばかり。昔の伝統を伝えることにあまりに前のめりになっていないか。それは、古典絵本ばかりを推薦してきた図書館のやり方とダブるものがあり、結果として図書館から子ども離れが起こったことを思い出しています。
神奈川の手作り紙芝居コンクールでは、新潟県の栃尾の地域の応募が多かったと伝え聞きました。子どもの物語を民話にしていく取り組みは、この壁を破るきっかけになるといいなあと思っています。何といっても口承の語りが根付いている地域ですから。
この本では「語り手たちの会」や「日本民話の会」のこともページが割かれていました。語り方の違いを超えていかなくちゃという意見も見ました。硬直した暗記語りには批判の文も多いです。新潟市では「子ども抜き」のストーリーテリングの発表会が数十年にわたって続いていて、これは広く広報されるでなく、葉書での案内が特定の人に届いて、つまり特定の人とその知り合いに広げていくというスタンスは、どうも変えることができないようです。内向きの、自分たちの発表会で、それで次の世代につなげていけるのか、という疑問に誰かが気づいてくれればいいのに。暗記語りも、ちょっと向きを変えれば、魅力的な人柄が浮き出る語りができると思う。暗記語りの人は、ほんとうにまじめで、表情を変えずに語るんだよね。それははたから見ると「つまらないことしている」みたいに見えるんだよね。絵本の読み聞かせもそう。それをあまり他の人に言ってもらえないんです。仲間内でやっているから。
矢部敦子さんの語りが巻末にあり、数年前、語り手たちの会の講座で、東京でご本人の語りを聞いたことの記憶がよみがえってきました。この時は「会場へ向かう途中で、服にコーヒーをこぼしてしまって・・・」などから始まり、何気なく昔がたりに入っていく、その上手さとか、話が体の一部になっている様子とか、を見ることができました。他を羨ましがっていてもしょうがないので、そういう気楽な語りを自分たちもできればいいのになあと、今は思うばかりです。
図書館の人の、参考図書の紹介ページは、相も変わらず、でした。