図書館・語り・紙芝居・集団相手の絵本よみ・ボランティアなどについて書きます。
絵解きボランティア
紙芝居的読み方
絵本の読み聞かせ講座で「実際に読んで講師のアドバイスを受ける」というコマがあるかと思います。
そんな時、「絵を見せて語る」ということで、どなたも「絵語り」という意識で絵本を音読されることと思います。
個人の持つ特性に沿って自由に読まれると思いますが、講師に「紙芝居的読み方ですね」などと言われることが結構あるそうです。
またまた昔のことで恐縮ですが、20年位前の長岡でのこと。
長岡市では、紙芝居が盛んで、故・右手和子さんの実演方法を踏襲してきた方々が多数です。
その感覚で絵本の読み聞かせをし、「紙芝居的読み方」(要するに激しすぎる)という強い指摘を(要するに叱られて)受けてみんながっかりされた、ということがありました。
「しずしずと前に出て余計なことを云わず、演出を加えずに淡々と読むことが絵本の良さを最高に引き出すのだ」という指導がされていたのでしょう。図書館読み聞かせのバイブルを握っていた東京子ども図書館から派生した指導者がそう思っていたのですから、新潟市でその指導に逆らうということは「あの人たちは図書館ボランティアと違うもんね」的な、違う分野の人たちという見方をされました。
あれから20年(きみまろ風に)・・・・・。絵本と紙芝居の違い、ということでこのブログもよく見られています。絵本・紙芝居作家のまついのりこさんの指摘どおり、絵本は「入っていく」・紙芝居は「広がる」と感じる人が多いようですから、絵本は「淡々と」、紙芝居は「演劇のように立体的に」というのが簡単に説明できるでしょう。あれからたいして変わっていませんね。
そして最近、絵本は(家庭では)「交流の道具」と、新潟市の子ども読書活動推進計画でも謳われるようになりました。絵本に人間が振り回されるのでなく、絵本を人間が使って人を育てるのだというふうに方向転換がされているのです。交流の道具ですから、読み手は黒子に徹するのでなく、黒子であっても黒子としてしっかり存在していけばいいんじゃないかというのが私の考えです。ずっと紙芝居の語り方(広がるように立体的)に近いのではないかと。
だから「紙芝居的読み方」というのは、読書活動推進計画に沿ったもの、と考えています。褒め言葉ですね。図書館ボランティアであればなおのこと、市の方針を参考にするのは当たり前。
ただし、読み手は多様な個性を持った人間ですから、「淡々と」やっているつもりでも傍から見ると「激しい」に聞こえるかも知れませんし、またその逆もあることは容易に想像できます。淡々・激しい、それぞれが混ざるので複数人でやるおはなし会は立体的で面白いのではないでしょうか。講師は、それぞれの個性を見て、それを伸ばすように助言していけばいいと思います。私は助言できないので、ほとんどそのまま自由にやってもらっていますし、会員さんから影響を受けています。不安に思う方もいるかもしれませんが、その不安は読み手がずっと抱えていけばいいことですよね。それが「これでいい?」と、常に自分を疑う気持ちにつながり、学びにつながっていくからです。
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