おてて絵本

おてて絵本」と「てのひらえほん」を両方知っていたので、一緒の面に書いてあって、なんだかうれしかった。
 子ども手作り紙芝居のおもしろさは、これと同じことなのです。子どもの絵で魅力を倍にさせて紙の上に定着させたのが、子ども手作り紙芝居だと思っています。

 子ども手作り紙芝居一緒にやりませんか?とサトシンさんに聞いたら、進む方向性がちがったようで、だめでした。これはこれで一件落着。だれか、そういう実行力のある人と一緒にやれればいいかなー、などと思った私のまちがいでした。はい。とぼとぼと、また進むことにします。

 「むかしむかし」とおてて絵本ははじまるのですね。前頁の「今ここ」から関連させて書いていきます。
「むかしむかし」と昔話ははじまりますが、これは「語り始め」「発端句」「冒頭句」などといいます。今ここでないいつか、といいながら現実から離れる呪文とでもいいましょうか。「テクマクマヤコン」「シュワッチ」みたいなもんでしょうか。違うか。
 これを、伝説のジャンルと区分けすることがある。「明和義人ものがたり」は時間や場所が限定されているので、「むかしむかし」とは書かなかった。
 
 「おてて絵本」では「むかしむかし」と始まるそうですが、子どもの物語・個人的な物語であり、いわゆる昔話ではありません。でも、「今ここ」から出発して空想しますよ、という合図でむかしむかしと言うのですね。そういう使い方もいいなあと思います。
 
 以前、「昔ばなし大学」受講生の方々が、「昔むかしで始まるのが昔話で、伝説は昔むかしとは言わない」と区分けしているのを聞いて、「でも、つい『むかしむかし』って言っちゃうときもあるだろうな。」と思ったときがありました。明和義人で例えれば「むかしむかし、明和4年のころのこと・・」とか、言いそうだよね。伝説が昔話になったり、その逆もあるわけだし。

とにかく、「今ここ」から出発して別の世界に行くという意味では一緒なのだから、言う言わないなどと、現実の世界ではかまっていられないだろうな、と感じています。
 学問上、研究して、ある道筋をつけることはあるだろうけど、それは文献上のことで、人々の暮らしはそれとは別にある。「伝説にむかしむかしと言うな」というのは、人々の暮らしを文献に近づけろっていう指示だよね。この場合も、子どもやサトシンさんに向かって「むかしむかしは昔話の合図だから言っちゃダメよ」みたいな感覚にとらわれてしまいます。

 そんなこと、無理だよね。

 人々の暮らしを研究して類似点や共通点を見つけて意見をまとめて論文に書くのは学者の仕事だけど、なんで普通の人がその学者に合わせなくちゃならないのでしょうか。
 あきらかに製作者がいて物があってルール違反している場合はルールにあわせるのがいいと思う。でも・・・
 「昔話以外にむかしむかしって言っちゃいけない」っていうのはルールじゃないよね。これをルール化したかった人たちが、いたのですね。気持ちはわかります。あまりに乱れていると感じる人もいるだろうな、と思うときがある。

「赤ちゃん絵本は『時は現在場所はここ』」「おはなしをきちんと覚えて語れ」とか、これもルールみたいに教わった。権力のある人が「これこれはルール」と言ってしまい、周囲ががんじがらめになることが多かった。それは、逆方向の現実から見るとつじつまがあわないことにもなった。
 ただ、秩序も大切だし、自由と勝手気ままは違うのだと、大分経ってからでないと気づかないことも多い。むずかしいんだな、と思います。ずっと引いたり押したりしていくんだろうか。

「これからの実演」のページに、まちがいがあって、何人もの方に迷惑をかけてしまいました。私が発言することで、いろんな方に迷惑がかかっているのだろうなと思うことも多いです。「違う人の目で見て」と言われるたびに、立ち止まって直し直しの連続です。会のブログとしてしまうことが、つらいなあと思います。


 
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