かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

今度は私が死ぬと思っていたのが死なず

2018-06-02 20:47:16 | ブログ記事


私は、
昨年5月に一緒に会食した村形明子さんが昨年9月5日に急逝して、
やはり一緒に会食した母が今年1月11日に亡くなったから、
次は私の番で、間隔から言えば、今年の5月17日くらいに死ぬと思っていた。

が、私が死ぬのではなく、

私の周囲の人がいなくなる間隔だったのかもしれない。

5月17日よりは少し早かったが、
5月3日に夫が出ていったのは、その続きだったのだろう。

私はジンクスを担ぐほうだが、
これでつじつまが合う.

それじゃ、私が死ぬことは当面ないということか。

あるいは、この間隔で、

今度は、私が4か月後の今年9月に死ぬのだろうか?

その日は、9月の23日くらい?

いまカレンダーを見ると、秋のお彼岸だ。

お彼岸に逝けるとすれば、私とすれば本望だ。

神様、どうか私の希望を叶えてください。

*

・わたしから離れてゆきし友、母、夫つぎはわたくし今年九月に

・お彼岸の月が死ぬ月お彼岸の日が死ぬ日なり二十三日




夫がいないと歯車が回らないのは事実

2018-06-02 19:47:21 | ブログ記事
食事作りも夫がいればこそするが、
夫がいなければ、作る意欲がわかない。

夫がいれば、おなかが空いていなくても、お昼前、夕方は食事作りを始めるが、
いなければ、お腹がすかない限り、作らないだけじゃなく、食べない。

それで、世の中の未亡人の方々は、どうしていられるのかと考えてしまう。

ご自分のためだけにでも作られますか?

これはブログを書くことにも似ていて、

自分のためにと言いながら、
読んでくださる人がいるのが励みになって書いている面がある。

ご飯はもっとはっきりしていて、食べてくれる人がいるから作るのであって、
自分が食べるだけだったら、わざわざ作らなくてもとも思い出すところが怖い?

今日は、私は、朝食後眠ってしまったが、
夫は大阪に帰ったので、私は昼食も食べずにいて、
やっと先ほど、レトルトのハヤシライスを食べた。

食材はいっぱい買い込んであるのだが、作る気にならなくて。

かと言って、夫に、昨日みたいに急に戻ってこられても、対応に困る。

夫が家にいて、三度三度の食事を必要とするから、
コンスタントに食事作りをするのだが、
これが乱れると、なかなか対応しにくい。

これからは、ずっとこんな生活になるのだろうか?

気楽なような、不安なような?

*

・夫ゐて歯車回る家なればゐなくて回らぬ家となりゆく

・寂しくは特にあらねど咳しても嚏(くしやみ)をしても独りと思ふ



なんとか書き終えて

2018-06-02 14:35:30 | ブログ記事
プリントアウトして封筒に入れました。

え、なんのことって?

短歌評論です。

ぜんぜん満足いくものではないけれど、一応まとまったから。

いまの私には、これが精いっぱいです。

もうこれが最後かなとも思いますが、また来年も書くかも?

もっと勉強して地力をつけないとと、書きながら痛感しますが、

本を読んでいると、すぐに眠くなります。

今日も、夜中に起きて書いていたこともあったけれど、
朝食後、また寝て、今まで眠ってしまっていました。

まるで眠り姫です。いや、眠り婆さん?(笑)

夫の姿は既に影も形もありません。

お天気もいいし、どこか行くかなあ。

それとも、積読の本や図書館で借りてきてある本を読むか。

年とって勉学を始める人のことが時々ニュースになるけれど、
あれって、本当に偉いと思います。

自分が年取るまで、
年取って学ぶことの大変さは、そこまでわかりませんでしたが、
自分が読書もろくにできない老人になり、
そういう年取ってから学ぶ人達を尊敬する気持ちが募ります。

*

・寝てばかりゐる老女なりわたくしは論文などは今年が最後?

・馬場あき子氏を尊敬すわれよりも二十歳(はたとせ)年上なれど現役

・九十歳(こことせ)になりて今でも矍鑠としてゐる歌人馬場あき子氏は