かみなり

心臓に人工弁を、耳に補聴器をしている昭和23年生まれの団塊世代です。趣味は短歌です。日々のよしなしごとを綴っていきます。

私は引きこもり主婦

2018-06-05 19:23:17 | ブログ記事
今日で三日間家から出なかった。

2日に夫が大阪へ帰ってから、今日で三日目だ。

夫は、今までは一日おきくらいに戻ってきていたから、今回は長い。

メールもしてこない。

こちらからもしない。

家に一人でいても、さみしいことはない。

積読がいっぱいあるうえに、最近もまた買った。

昨日届いたのは、
国文学者の光田和伸氏の『恋の隠し方』である。

いま読んでいる。

この本を読むきっかけになったのは、

ときどきメールをくれる有名歌人の冬道麻子さんからのメールであった。

光田和伸氏は、永田和宏氏が「塔」の編集長になる前に編集長をされていた方だ。

私が短歌を始めるより、ずっと前に「塔」の編集長をされていたことになる。

そのころの私は、短歌結社の「塔」の存在すら知らなかった。

冬道さんに、そのころのお話を聞かせていただいて、光田氏の本を読みたくなって買った。

本の内容は、アマゾンなどの広告を見ていただければいいのだが、

簡単に説明すれば、

吉田兼好の『徒然草』には恋の話が隠されているというものである。

意外な話なので、ちょっと驚くが、それだけになかなか面白い。

光田氏は連歌の大御所で、数年前まで「国際日本文化研究センターで准教授をされていたらしいが、
定年退職して、故郷の愛媛県に戻られているらしい。

夫も帰ってこないし、

イギリスに行くのは今月下旬だから、

一度、この光田氏に会いに愛媛県に行ってみようか。

会ってもらえるかどうかは、わからないが、
冬道さんのことを話題にすれば、ひょっとすると会ってもらえるかもしれない。

しばらくどこにも行っていないことだし、高速バスに乗って行きたいなあ。


遺産などないほうがいい?

2018-06-05 13:26:34 | ブログ記事
それは一面の真理だと思います。

この記事の前に書いた「親からの愛情不足を遺産で取り戻そうとする」も

遺産があるから起こる問題です。

夫の妹が異常に遺産に拘ったのも、義母の預金はわずかでしたが、
この私達が現在住んでいる家があったからです。

が、義母に潤沢な預金があったら、どうだったでしょう?

あそこまで、この家を取ろうとはしなかったと思います。

この義妹の欲深さは、義母似だったかもしれなくて、

義父の田舎にあった実家を私の夫に売らせにいかせたのに、

会社を休んでまでして行かせた夫に、飛行機代も出しませんでした。

もう30年くらい昔のことです。

自分ががっぽりとって、その後、自分の贅沢に浪費しました。

この義父の田舎の実家は義父のお姉さんが守ってくれていたのでしたが、
義母は、この義父のお姉さんから家賃をとっていたというか、
伯母さん(義父のお姉さん)が自発的に家賃を払ってくれていました。

伯母さんの実家だったのに、義妹とは月と鼈(すっぽん)?

義母は、その義父の実家だった家を売った代金は、その伯母さんには一円も分けませんでした。

伯母さんは昔かたぎの人でしたし、実家思いの人でしたから、黙っていたのだと思います。

その後、伯母さんは、その長男に引き取られましたが、

伯母さんのところの子供は、4人とも出来が良く、

その引き取られた長男の医院は大繁盛でしたし、
さらに現在は、その息子(伯母さんの孫)が医院を営んでいますが、
さらに大きく発展しています。

長男以外の子供達も皆いい暮らしをしています。

伯母さんが遺産など受け取らなかったから、神様がご褒美くださったのかもしれません。

この伯母さんの生き様には深い寓意が秘められていると思います。

余談ですが、この伯母さんも難聴でした。

それもあって、私は、この伯母さんには、かわいがっていただきました。

親からの愛情不足を遺産で取り戻そうとする

2018-06-05 06:57:44 | ブログ記事
昨日書いてから気づいたのですが、

夫の義妹と父の長兄の共通したところは、
どちらも親からの愛情に飢えていたところがあったということです。

義妹は、夫の兄弟の中のたった一人の娘だったにも関わらず、義母が可愛がりませんでした。

父の長兄は、次兄とともに、小さいころ田舎の祖父母(祖父の両親)に預けられて育ちました。

というのが、
事業を興すのに心血を注いでいた祖父母が幼い子供を育てていると足手まといになるので、
田舎においたまま、高知市内で商売をしていたからです。

私の父は、商売が軌道に乗ってから生まれましたから、生まれたときから親の手元で育てられています。

それで、たまに長兄、次兄が高知市に来ると、私の父ひとりが可愛がられていたのが妬ましかったと聞いたことがあります。

父の次兄はもともとやさしい人でしたから、それほど恨みにも思っていなかったようでしたが、
長兄の伯父は、負けず嫌いでしたから悔しかったんでしょうね。

私の父は秀才でしたから、よけい親の覚え目出たく可愛がられていたようでしたから、余計に。

それで、私の父は、一番かわいがられていたから、親の遺産もたくさんもらえると思っていたんではなかったでしょうか。

が、祖父が亡くなって、長兄が独り占めしたため、怒ったのだと思います。

父の両親(祖父母)が子供の栄枯贔屓をする人ではなかったと思いますが、結果的にそうなったのですね。

夫の妹の場合は、義母の性格から、あからさまな依怙贔屓があったから、義妹の性格形成はなされたと思います。

それでも親子は親子ですから、義妹は結婚してからもしょっちゅう実家(我が家)に入り浸っていましたけれど。

しかし、義母は、どういうわけか、孫である、私の娘のほうを溺愛していました。

それが、また義妹の嫉妬の原因でした。

遺産相続には、こういう肉親間の嫉妬も絡んでいると、私は見ています。