カメノ日記

僕カメノ(通称カメ)の遊び、学び、それから日々のでき事をつづる日記です。カメには前進あるのみ。カメも歩けば奇石にあたる。

力道山の思い出

2006年03月04日 | スポーツ
力道山の像(2006.3.3撮影)
力道山の像(2006.3.3撮影)


 韓国と日本の合作映画「力道山」が、今日3月4日
 からロードショーされる。僕カメノは、プロレスラー
 としての力道山は、その初期のシャープ兄弟や木村
 政彦との対戦から見てきた。

木村政彦は柔道界の強豪で、現在柔道界から格闘技やレスリングに
進出する人が多いが、その元祖と言える。この試合は相撲界出身レ
スラーと柔道界出身レスラーの雌雄を決する闘いとしても注目され
た。

力道山と木村の対戦は、当時一般家庭にテレビがなかったので、僕
は銭湯へ行って見た。闘い自体は実にあっけなかった。試合が始ま
ると力道山が積極的にしかけ、相撲で鍛えた張り手と、容赦のない
蹴りで圧倒した。木村がなすすべもなく敗れたように記憶する。

その後、力道山は来日した多くの有力レスラーと対戦した。鉄人ル
ー・テーズ、耳そぎ男のキラー・コワルスキー、原爆頭突きのボボ
・ブラジル、吸血鬼フレッド・ブラッシー、足四の字固めを得意と
したマスクのザ・デストロイヤーなど。

力道山は小柄であるため、その試合運びは、どちらかというと最初
は外人に反則をおりまぜたきたない技で攻められ、大いに痛めつけ
られた。我慢に我慢を重ねるが、そこで空手チョップが飛び出し、
形成逆転してフォールするというパターンが多かった。特に、晩年
(?)にはそういう印象が強い。

そんな中で、僕が記憶に残る闘いといえば、例えばNWA世界ヘビ
ー級チャンピオンの鉄人ルー・テーズとの闘いである。ルー・テーズ
は反則をほとんどしない正当派レスラーであった。この試合、力道
山は気合いが入っており積極的で、初盤テーズの手を握りロープに
飛ばした。リバウンドしたテーズののど元に空手チョップをまとも
に炸裂させた。のどは誰でも弱点だ。さしものテーズもマットに沈
んだ。力道山が1本を先行。

その後、一進一退が続いていたが、リング中央で一瞬のすきをつか
れ、テーズの伝家の宝刀バックドロップを食い、力道山がフォール
された。この試合、確かドローだったと思う。

当時は、ほとんどすべてが外人対日本人の対戦であった。そのせい
もあったと思う。外人をやっつける力道山の活躍に、国民の多くが
いやが上にも熱狂した。

しかし、力道山の最後は実にあっけなかった。力道山が赤坂のキャバ
レー「ニュー・ラテン・クォーター」で暴力団員に刺され入院した、
とテレビニュースが報じた時(1963年の12月)、相手が暴力
団とはいえ、腕力も技もあるレスラーが刺されたことが意外で、少
々驚いた。しかし、その1週間後、力道山が亡くなったと聞いたと
きは、予想外のあまりのあっけなさに唖然としてしまった。

その時、力道山は39歳であったが、当時の僕はもっと年をとって
いるように感じた。自分が力道山より大分若かったからかもしれな
い。いずれにせよ、あまりに若すぎる死であった。(画像は、池上
本門寺にある力道山の像)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 平成18年豪雪と雪下ろし対策 | トップ | 日本チームに期待する(WB... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

スポーツ」カテゴリの最新記事